掲示板法話

掲示板法話「お彼岸ってなにする日?」

掲示板法話「お彼岸ってなにする日?」

ベタでごめん!?

娘(中学2年生)に「3月の言葉、なにがいいと思う?」と尋ねたら、「『お彼岸ってなあに?』みたいな基本的な話!みんな知らんと思う!」と教えてくれました。「むっちゃベタやん!」と思いましたが、基本に立ち返るのは大切なこと。とはいえ、ちょうど1年前に書いた言葉がまさしく「お彼岸ってなあに?」なので、さすがに丸被りは避け、「お彼岸ってなにする日?」というテーマで書いていきます。

なにをして過ごしますか?

お彼岸の過ごし方は人それぞれだと思います。スイーツに目がない娘は、「春彼岸には牡丹餅、秋彼岸にはおはぎ」と最近覚えたので、きっと牡丹餅をおねだりしてくるでしょう。社会人なら、せっかくの祝日ならゴロゴロしたい、という人もあるでしょう。近年は、桜の開花が早く、3月下旬はお花見シーズンとも重なります。アフターコロナで迎える最初の春ですから、お花見で忙しい人もあるかもしれません。

「春分の日」「秋分の日」は、夕陽が真西に沈むことから、そのはるか向こう側に、西方極楽浄土を拝む日とされてきました。仏教とゆかりの深い祝日は「春分の日」「秋分の日」だけですから、自分のやりたいことを少し我慢してでもお寺にお参りし、ご先祖のお墓にも手を合わせていただきたいものです。

願いを持って生きよう

仏教が誕生したインドには、お彼岸の習慣はありません。

ただし、お彼岸という名称自体は、「波羅蜜(はらみつ・pāramitā)」というインドの言葉に由来します。この言葉には、「彼方へ(pāram)」つまり「さとりの世界へ」行きたいという願いが込められています。日本では、彼岸とは「西の彼方の極楽浄土」だと理解されることもあり、したがって、先にご先祖が旅立っていった極楽浄土を思うのがお彼岸の習慣として定着しています。しかし、もともとの意味からすると、極楽浄土を思慕するだけでなく、はるかな理想の世界を願って目指していく心情が、お彼岸という言葉に宿っています。

大乗仏教では、願いを持つことが極めて大切だとされます。

その願いというのはもちろん、自分自身の地位や名誉を願うことではありません。慈悲の心をもって、世のため人のために生きようという願いです。実際には、私たちにできることは限られていて、他人を幸せにしたり、社会に安寧をもたらしたりすることは、相当な苦労をともないます。でも、「仮に願いが叶わなかったとしても、願いを持たずに生きている人よりもはるかに尊い」と仏典に説かれています(*)。

せっかくのお彼岸です。皆さんも、目先の損得勘定など少し忘れて、恥ずかしがらずに大きな夢を願ってみませんか。願うだけならタダでできます。もちろん、叶える努力をするのが望ましいですが、願いを持っているだけで尊いという経典の言葉は、私たちが未来を見つめて生きていく大きな支えになるでしょう。

*…「菩薩の初発心 大慈悲と合するは 無上道の為なり
   即ち是の心は勝ると為す 是の故に此の願をもって世間の上に住す」(十住毘婆沙論)