助けを求めるのは弱いこと?

「助けて」と言えなかった夜
去年、僧侶になるための修行に初めて参加した日のことです。初日から慣れない役を任され、「ちゃんとできるだろうか」と不安でいっぱいになり、その夜、一人で泣いてしまいました。
そんな私に同じ班の仲間が気づき、一緒に練習してくれました。少しずつ修行生活に慣れてからは、苦手なことがあると、自分から先生に「もう一度教えてください」とお願いできるようにもなりました。
今振り返ると、あの頃の私は、助けを求めること、そして助けを受け取ることを学んでいたのだと思います。
月の光は、すでに届いている
十月になると、夜空の月が美しく見えるようになります。
法然上人は、「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」と詠まれました。
月の光は、どんな場所にも分け隔てなく届いています。そして月を見上げたとき、私たちは、その光が自分にも届いていたことに気づきます。法然上人は、そんな月の光に、阿弥陀さまのお慈悲を重ねられたのでしょう。
また、「心にぞすむ」の「すむ」には、月の光が心に「宿る」と、心が「澄む」という二つの響きが重ねられているともいわれます。
これは『観無量寿経』の、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」という言葉に基づいています。阿弥陀さまの光は、あらゆる世界を照らし、念仏する者をその光の中におさめ取り、決して見捨てない、という意味です。
月の光は、私たちが見上げる前から、すでに届いています。阿弥陀さまのお慈悲も、私たちが立派になったから届くのではありません。迷いや弱さを抱えた私たちを、そのまま見捨てずに照らしてくださるのです。
「助けてください」と言える強さ
家族や友人、周囲の人の手も、気づかないうちに差し伸べられているのかもしれません。
苦しいときには、どうか顔を上げて、「助けてください」と声に出してみてください。
助けを求めることは、負けることではありません。自分の力には限界があり、一人だけで生きているのではないと気づくことです。
「南無阿弥陀仏」と称えることは、迷いや弱さをなくしてから仏さまに向かうことではありません。迷いや弱さを抱えたまま、阿弥陀さまのお慈悲に身をゆだねることでもあります。
「助けてください」と言える人は、弱い人ではありません。自分の弱さを認め、差し伸べられた手を受け取る勇気のある人です。
月の光も、阿弥陀さまの光も、そんな私たちを、決して見捨てることはありません。
文 龍岸寺徒弟・文 法春
