掲示板法話

なぜ人に優しくしないといけないの?

なぜ人に優しくしないといけないの?

苦手な人にも優しくできますか?

物思いに耽っていると、小さな頃、嫌な目にあったときのことを、ふと思い出しました。

きっかけは、些細な言葉だったのかもしれません。そこには悪意がなかったのかもしれません。しかし当時は、相手には私に悪意があると感じて、その人を苦手に思ってしまいました。誰でも、大なり小なり似た経験はあると思います。

そのような人に優しくできますか?

当時の私は、一度相手に悪意があると思ったら、敵対視してしまい、相手を避けていました。顔を合わせて喧嘩になると思うと怖くなり、優しく接することができませんでした。ただ、今の私は直感的に優しくしたいと思います。なぜ優しくしたいと思ったのかを考えてみようと思います。

人は皆つながっている

例えば、自分が落とし物をして交番に落とし物が届いていたとします。これは、落とし物を届けた人がいたから自分の手元に戻ってきたのです。届けた人が見ず知らずの人であったとしても、物を通して新たな人との縁がつながっています。もし仮に、届けた人が、自分が苦手な人であっても、落とし物を届けてくれるという相手の優しさによって生まれるご縁もあります。

このように、自分が知らないうちに優しさを受け取っていることがあります。知らずとも、生きていたら沢山の縁が偶発的に起こりえます。いずれにしても人は皆、なにかしらの形でつながっています。

優しい世界をつくろう

『維摩経』の中に「すべての衆生(人々)が病んでいるので、その故に私も病む」という言葉があります。維摩居士という人物が病にかかった時、文殊菩薩がお見舞いに行きました。文殊菩薩の「どうしたら病はなくなりますか?」という問いに対する維摩居士の答えです。この言葉の裏を返せば、人々の病が癒えれば自分の病も癒えるのです。

相手の問題は自分の問題でもあります。なぜなら、生きていく上で生じるご縁は数えきれない程起こり、自分には見えない縁なども含まれるため、自分と無関係なものは存在しないことが分かります。

テレビを見て涙を流した経験がある方も多いのではないでしょうか? これは自分が痛みを知っているから人の痛みを理解して起こる現象だと思います。私たちは人の痛みを理解できる存在です。

周囲で困っている人がいたら優しい手をさしのべる。その連鎖がいくつも重なった時、最初に自分が人に手をさしのべたように、優しい人の数が増えていきます。まずは自分の周囲から優しい世界を作っていきたいものです。そうすればいずれ優しい世界が大きくなっていくと思います。

文 龍岸寺徒弟・森田陽香