自分に自信を持っていますか?

ひさしぶり!
皆さん、おひさしぶりです。以前は毎月この法話を書いていましたが、新たに加わった2人の弟子に任せる月も多くなったので、レアキャラ化しつつある住職ですが、元気で暮らしております。
弟子たちのおかげで、毎月の法話を書くのも、日々の掃除も、だいぶ楽をさせてもらっています。が、その一方で、読経の指導をしたり、経典の解釈について教えたりなど、住職らしい仕事が新たに増えています。仏教の伝統を正しく受け渡していくことに、苦労とやりがいを感じる日々です。各宗派ともに僧侶の成り手は少ないと言われていますから、長男を含めると3人の弟子がいるのは望外の喜びというほかありません。
お坊さんだって自信を持てない?
僧侶の成り手が少なく、お寺は先行きが不安な状況にありますが、これを打破するにはどうしたらいいか。
キーワードのひとつは、「自信」を保つことで、そのために必要なのは視野を広げることだと私は考えます。
私が子供のころ、仏事は子供の眼にも驚くほど丁寧でした。お葬式にはお坊さんを何人も招き、テントをいくつも立てて大勢の会葬者を迎え、ともに故人を送りました。が、このようなお葬式を、近年ではほぼ見かけることがなくなりました。お坊さんたちは、自分の宗派の教えにゆるぎない「自信」を持っているかもしれませんが、やはり生身の人間です。「昔はお葬式も法事もにぎやかだったのになぁ…」と古き良き時代がつい偲ばれます。「跡を継がせたところで…」と自信喪失気味につぶやく住職の声を聞くこともよくあります。
幸いなことに、龍岸寺では、修行中の弟子のほかに、海外からも教えを求めて来られます。先日、台湾から来られたご家族は、お子さんが熱心な浄土教の信者で、辞書ほどに分厚い経典を嬉しそうに寄贈してくださいました。新たな仏縁を日々いただき、広い視野で仏教に向き合えていることは、私の「自信」につながっています。
環境を変えてみたら?
「自信偈」というお経があります。そこには「自ら信じ、人をして信ぜしめることは、難しい中さらに難しい(自信教人信 難中転更難)」とあります。これは、厳密にいえば、仏教を自ら信じ、他人にも伝えていくことの難しさを説いたものですが、より広く理解するなら、自信を持つこと全般にあてはまるだろうと思います。
太陽や月が常に輝き続けるように、本来輝きを持つものが、にわかに輝きを失うことはありえない。これはひとつの真理です。しかしながら、ちょうど太陽や月が雲に隠れて見えなくなるように、価値あるものがときに曇って見えなくなるというのもまた、ひとつの真理です。輝きを放ち続けるのは、難しいことなのです。
あなたがもし、いまの自分に自信を持てていないなら、にわか雨にあっているだけかもしれません。雲が晴れるのを待ってみたり、視野を広げてみたり、交際範囲を広げてみたりするだけで、あなたの本当の価値が再び輝くこともあるはずです。どうか皆さんが持っている輝きを、忘れないように生きてください。

文 龍岸寺住職・池口龍法