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どうしようもないとき、どうしたらいい?

どうしようもないとき、どうしたらいい?

頑張っているのに、うまくいかないことがあります

頑張っているのに、どうしてもうまくいかない。そんなふうに感じることはないでしょうか。

もっとちゃんとしようと思っているのに、思うようにできない。心を落ち着けたいのに、かえって迷ってしまう。人にやさしくしたいのに、余裕がなくてできない。頑張っているつもりなのに、結果が出ない。そんなことは、誰にでもあるのではないかと思います。

重い荷物を持って歩いているときに、「もっとしっかり持ちなさい」と言われたら、ますます苦しくなります。そんなとき、本当に必要なのは、「少し荷物をおろしてもいいですよ」と言ってくれる言葉かもしれません。

私自身、外国で生まれ、日本に来てから仏教を学ぶようになりました。最初に学んだ仏教は、坐禅や戒律、経典の学びなど、自分の努力によって心を整え、悟りに近づいていくことを大切にするものでした。私も長いあいだ、仏教とは自分を律し、自分を高めていく教えなのだと思っていました。

そのままの私に向けられた教え

けれども、日本の浄土教の教えに出会ったとき、私は少し驚きました。そこには、「そのままでよい」という教えがあったからです。

私たちはみな、思い通りにならないことを抱えて生きています。年を重ねること、病気になること、大切な人と別れること、不安や迷いを抱えること――こうしたことは、どんな人にも避けることができません。それだけでなく、自分の心さえ思うようにならないことがあります。

浄土宗を開かれた法然上人は、そのような私たちに向かって、「難しい修行ができなくてもよい。ただ南無阿弥陀仏ととなえなさい」と教えてくださいました。

念仏は、立派な人になるための言葉ではありません。うまくできない私、迷いの中にいる私、そのままの私が仏さまにまかせて生きてよいという、安心の言葉です。

もっと頑張ることだけが答えではありません

私たちは、うまくいかないときほど、「もっと頑張らなければ」と思いがちです。けれども人生には、努力だけではどうにもならないことがあります。自分の力だけでは抱えきれない悲しみや不安もあります。

そんなとき、仏さまの教えは、「もっと努力しなさい」とだけ語るのではなく、「そのままでも大丈夫ですよ」と静かに語りかけてくださっているように思います。

それは、何もしなくてよいということではありません。そうではなく、努力してもなお限界のある私、思うように生きられない私を、見捨てない教えがあるということです。

頑張っても、うまくいかない日。そんな日だからこそ、そっとお念仏申してみてもよいのかもしれません。

文 龍岸寺徒弟・文 法春