ロボットはさとりをひらけるの?

研究者からの問い
先日、ある研究者から、「ロボットはさとりを開けるのでしょうか?」という質問を受けました。
これはなかなか厄介な質問です。経典を開いたところで、ロボットに関する記述などどこにもありません。かといって、ロボットと付き合わずにこれからの時代を生きていくこともできないので、経典に答えが載っていないからといって、この質問をスルーすることもできません。
苦しみを感じる力
このような未知の状況に答えを出すときには、仏教の原理原則に立ち返るしかありません。
お釈迦さまが出家を志した動機は、「なぜ人間は生老病死の苦しみから抜け出せないのか」という問いを解決するためだったとされています。このエピソードがいみじくも示していますが、仏教においては、さとりという究極目標を目指していく原動力となるのは、私たちの持つ「苦しみを感じる力」です。さとりを目指す物語が「苦しみを感じる力」に基づいて設計されてきたことは、仏教の誕生以来ずっとそうでしたし、今後いくら時代が変わっても、きっと変わらないだろうと思います。
ロボットだって苦しい!?
さて、ロボットはどうでしょうか。
私たちのように、「苦しみを感じる力」を持っていないような気がします。
でも、インドでは昔、「植物は苦しむ素振りを見せないから心がない」と考えられていた時代がありましたが、道端の石ころにさえ霊性を見出す日本的な感覚では、「植物にも心がある」ような気がしますし、それを正しいと裏付ける研究結果もあるようです。
ロボット掃除機は、バッテリーが持続する限り、嫌な顔ひとつすることなくいつまでも掃除をしてくれますが、バッテリー残量が低下しているときなどは、もしかしたら結構滅入ってるのかもしれません。
真実はわかりませんが、それぐらいロボットを思いやって優しくするのが、日本人らしいように思います。機能が改善されて、苦しまずに動作できるように進化していくのは、ロボットなりのさとりへの道筋ともいえます。ロボットも人間も、幸せに生きられる暮らしを、心を通わせながら模索するべきだと思います。