法然上人の幸福論③-1「バックパッカー派?パックツアー派?」
脱・やせ我慢!
ここからはいよいよ、全16章からなる『選択本願念仏集』をひもといていく。
この著作は先に書いたように、阿弥陀如来の気持ちを法然上人がまとめたという神がかり(仏がかりというべき?)的な内容であるが、法然上人はバチバチの霊能者みたいに「阿弥陀さまに私は直接会ってきました」というスタイルは一切とらない。お釈迦さまの説いた(とされる)経典や、その解釈書の言葉を引用し、法然上人がそれを合理的に詳しく読み解くという冷静沈着な学者スタイルで、教義を堅牢に構築していく。この著作が、850年にわたって念仏信仰の礎となってきたのも頷ける。
さすが、法然上人。アッパレである。
と、全体の構成の仕組みを簡単に説明したところで、早速読み進めていきたい。
『選択本願念仏集』講座、開幕!!
第1章「道綽禅師、聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて、正しく浄土に帰するの文」
この章では、法然上人は道綽禅師(562~645)の『安楽集』の言葉を引用する。道綽禅師は、隋・唐代の中国の僧侶で、浄土宗で仰ぐべき五人の祖師(浄土五祖)の一人。タイトルが示すのは要するに、
「仏教には才能ある人のための聖道門(しょうどうもん)と、バカのための浄土門があるが、我々はどうせバカだから浄土門を選ぶしかない。」
と、道綽禅師が看破したという意味である。
ゴングが鳴った瞬間から、まさかの猛チャージ。
いきなり「所詮俺たちバカ者(ただし仏道修行がロクにできないという意味でのバカ者)」だと決めつけてかかるところから、話がスタートする。もちろんいまこの文章を読んでいるあなたも、もちろん「バカ者」に含まれる。
少し詳しく解説していこう。
聖道門というのは、仏道修行の王道スタイルである。お釈迦さまは、地位も財産も家族もすべて出家して修行生活に入り、ついにはさとりを開いた。弟子たちも、仏門に入ったからには、たとえどんなにしんどくてもお釈迦さまの背中を追い求め、坐禅に励んだり、戒を守ったり、経典を学んだりしてストイックに道を極めてきた。今生で極めきれなければ、来世にまたこのなんとか人間界に生まれ直してきて励むことを願った。
道綽禅師は、仏教が始まって以来、ずっと大事にしてきたはずのこの王道を、実践するのはもう無理だと大胆にも開き直ってしまった。その理由はというと、「お釈迦さまが亡くなってから久しい歳月が経ってしまった」「教えが深すぎて理解しがたい」からだという。修行の才能もなければ、環境も整っていない状況で、バカがいくら背伸びしても空しく時間が過ぎていくだけだと気づいた。しかも、気づいたうえで、男気を発揮して号令をかけてしまったのだ。
みんな、やせ我慢大会はもうやめにしないか――。
この「脱・やせ我慢」の号令をかけるべき状況はいまでも頻繁に訪れる。
「この役員会、駄弁ってるだけで、なにも生み出してないと思うんです!」
「あのカップル、喧嘩ばっかりだから、早く別れたほうがお互い幸せになるのに!」
そう確信していても、自分が言い出すとうっかりすると余計なおせっかいだと嫌われるから、なかなか言うのに勇気が要る。できれば、誰か他の人に言ってほしい。
そう考えるなら、道綽禅師、よくぞ勇気を出して言ってくれたと思う。
では、王道スタイルの仏道修行が無理なら、六道輪廻から抜け出す道は永遠に閉ざされてしまうのかというと、聖道門の代わりに浄土門を選べばいいという。これはつまり、阿弥陀如来はバカこそを愛すると経典に説かれていることを信じて、阿弥陀如来の極楽浄土に逃げ込ませてもらおうというアプローチである。道綽禅師は、やせ我慢をやめて、身の丈にあった歩み方を教えたといえるだろう。
現代人ってもっともバカ?
ただ、声高に語られた「脱・やせ我慢」の号令は、道綽禅師の思い描いているようにストレートには私たちの心に刺さってこない。
原因はおそらく2つある。
1つ目は、「時代が下るにつれ人間はバカになる」と言われても、納得できないからだ。この説が正しいなら、「現代人は歴史上もっともバカだ」ということになる。あれ、人類って何百万年もかけて進化してきたって習わなかったっけ…。
仏教では「進化論」的な考え方とは逆に、お釈迦さま在世の時代を理想とし、年代がくだるにつれ教えが伝わらなくなっていくと考えることがよくある。「昔はよかった」的な懐古主義の一種だろう。この考え方は、インドよりも中国や日本において強いように感じる。中国や日本では、インドから距離的にも離れているために、よりいっそうお釈迦さま在世のインドに憧れがあるのだろう。
日本では、法然上人が生まれる約80年前に、永承7年(1052)に末法の世(お釈迦さま在世から歳月が経過して仏教が廃れ、正しく実践する人もさとりを得る人もいない時代)に入ったと考えられた。この年に京都・宇治に平等院が建立されたのも、なんとか阿弥陀如来にすくいを求めたからに他ならない。当時は天変地異が続発したうえに、政治の中心が貴族から武士へと移る過渡期で騒乱も絶えなかったから、人間の愚かさを感じ、末法の世が本当に到来したと信じた人は多かっただろう。法然上人が道綽禅師の説を冒頭に引くところから『選択本願念仏集』を書き始めたのも、時代状況を考えればなるほどと思う。
それから千年近くが経ったが、現代はどうだろうか。
仏教的な理屈の上では末法の世がさらに深まり生きにくくなっているはずだが、私たちにその実感は乏しい。平安時代末期よりはるかに文明は発達したと誰もが考えている。
確かに、東日本大震災をはじめ地震や水害などは多発しており、いつ天災地変に見舞われるかわからない不安が、近年高まっている。しかし、人生百年時代と言われるほど医学の力は発達し、たいていの病気は治療できるようになった。戦争に関しては、海外に目を向ければウクライナやガザなどが目を覆いたくなる惨状に陥っているが、日本国内では安全に暮らしていられる。スマートフォンやPCに流れてくるエンタメ系のコンテンツを視聴していれば、何時間でも何日でも楽しく過ごせる。「昔はよかった」的な歴史観は、素直には共感しがたい。
しかし、歴史の捉え方は、たぶんどうでもいい。道綽禅師や法然上人が言いたかったのは、歴史の話というよりはむしろ、身の丈を知らずにやせ我慢をしたり、背伸びをしたりを繰り返して生きているという、人間のバカバカしさである。このバカバカしさは、文明が発達した現代も変わらない。そう理解するときにようやく、道綽禅師や法然上人の問題意識は、私たちの身にも強く迫り来るだろう。
極楽浄土へのパックツアー
もう1つは、「やせ我慢に意味はない」説は、果たして真実なのかということである。
「やせ我慢」と言うと、いかにも無理をしているようだが、たとえば坐禅ひとつとっても、初めのうちは足の組み方がぎこちなかったり、呼吸もうまくリズムを作れなかったりでして、心が穏やかに調わなかったりする。それでも、やせ我慢のような坐禅でも続けていくと、だんだん坐禅が身体に馴染んでくる。
坐禅に限らず、およそ道を求めていくというのは、どうしても忍耐が必要だろう。
それなのに、習熟する努力をあっさり断念して阿弥陀如来のもとに逃げ込んでも、まともに修行した人と同じように六道輪廻から抜け出せるという。そんな都合のいい話があっていいのだろうか。お釈迦さまが出家して6年間の厳しい生活を過ごしたことも、多くの修行者が仏道に打ち込んできたことも、すべて無駄になってしまうではないか。それに、ストイックな努力から逃げ出すことを勧めるなんて、倫理的にもよろしくないではないか。
周りを見渡しても、仕事で成果を残している人は、見えないところできちんと努力をしている。やせ我慢の努力だって、いつかは身になることもあるだろう。努力から逃げ出して、成功が手に入るほどこの世は甘くないはずである。
それなのになぜ、「やせ我慢に意味はない」とあっさり言い切ってしまったのか。
答えを先にいうと、本当に意味のないタイプのやせ我慢だったからである。
どういうことか。
南インド出身の初期大乗仏教の論師・竜樹菩薩は『十住毘婆沙論』のなかで、仏道の歩み方に2種類があり、それは「陸路の歩行」という険しい道と、「水道の乗船」という易しい道だという。道綽禅師が聖道門と呼んだものは陸路、そして、浄土門は船旅にあたる。
「陸路派か水路派か」というのは、「バックパッカー派かパックツアー派か」と言い換えるとよりわかりやすいと思う。
旅行するときに、大きなリュック(バックパック)に最小限の荷物を詰め込んで旅するバックパッカーを選ぶか。旅行会社が組み立ててくれるパックツアーを選ぶか。
どちらのスタイルで旅行をするのが、正解ということはない。1年ほどの歳月をかけてでも、バックパッカーで世界一周を旅することを夢見る人もあるだろう。逆に、飛行機やホテルの手配など、面倒なことは旅行会社にすべて任せて、快適に旅を楽しみたい人もあるだろう。バックパッカーのほうがしんどいこともわが身に及ぶリスクも多いが、世界各国の人々と触れ合いながら深い旅情を味わえる。でも、現実には、長期の休暇はなかなか取れないから、パックツアーを選ぶことのほうが多い。パックツアーが普及していればこそ、私たちは気軽に旅行に出かけられる。
ここで大事なのは、快適なパックツアーが成立するのは、過去のバックパッカーをはじめ、その旅行先に飛び込んでいった人たちの貴重な情報の蓄積があるからである。
仏教においては、出家して以降、生涯遊行生活を続けたお釈迦さまは、まさしく道なき道をいくバックパッカーである。そして、インドの仏教徒は基本的に、このバックパッカースタイルを踏襲し、俗世の喧騒から離れて規律正しい生活を過ごし、心静かに禅定に入るなどして、いくつものやせ我慢を乗り越えてさとりへの道のりを一歩ずつ進んでいくことを好んだ。おそらくはこのスタイルが気質に合っていたんだと思う。
でも、仏教が五百年、千年と続いていくうちに、情報が蓄積され、さとりへの道のりをスムーズに進めていく近道も知られてくる。それが、旅行会社を信じてパックツアーに身を委ねていくように、経典の教えをさくっと信じて生きていくという忍耐力を求めない仏道スタイルである。とりわけ「極楽浄土へのパックツアー」は人気商品になるだろうと道綽禅師は見抜いた。
バックパッカー派とパックツアー派の2種類がありうることは、竜樹菩薩以外の著作にも記されているが、インドでは基本的にお釈迦さまのバックパッカースタイルをリスペクトし、パックツアー派はメインストリームにならなかった。阿弥陀如来への信仰が産声をあげたのはインドだったが、「極楽浄土へのパックツアー」が大々的に催行されたのは中国や日本においてだ。
道綽禅師は、インドでは顧みられなかったパックツアースタイルに注目し、仏教のすそ野を大きく開いたと言えるだろう。