掲示板法話「ありがとうを伝えよう!」
謹賀新年
新年、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
2024年の干支は「辰」です!ということで、例年以上に龍岸寺にお参りくださいませ。
当寺としても、たくさんのお参りをいただけるよう、ワクワクするお寺づくりにつとめてまいります。
身近な人にありがとうを
お寺の山門に向かって少し右手に進んだところの掲示板に、
店員さんに「ありがとう」言えたなら 今日も明日もハピネス
という言葉を掲げています。ミュージシャン・岡崎体育さんが昨年6月にテレビ番組のロケで来られ、お寺らしい「ありがたい言葉」を即興的に書いてくださったときのものです。
コンビニの店員さんがレジ打ちをしてくれたとき、私たちはお金を払って商品を受け取るので、「ありがとう」と言う義務はありません。でも、「ありがとう」を言えたら、店員さんも自分自身も幸せになれます。
また、私の子供が小学校で習った「ありがとうの花」の歌詞には、
ありがとうっていったら みんなが笑ってる
その顔が嬉しくて 何度もありがとう
とありました。何気ない「ありがとう」には、わずか五文字で大勢を幸せにしていく魔法の力があります。
当たり前と思っていませんか?
でも、街中のいたるところで「ありがとう」の花が咲いているかというと、そうでもない気がします。その理由はおそらく、日々の生活をすべて「当たり前」という感覚で過ごしているからです。
お店のレジでお金を払って商品を受け取るのも「当たり前」。家族の誰かがご飯を作ってくれるのも「当たり前」。仕事をして給料をもらってくるのも「当たり前」。しかし、このような「当たり前」があふれていると、絶対にギスギスします。
本当は、「当たり前」に存在しているものなんて、なにひとつありません。
私たちのこの命だってそもそも両親からいただいたものですし、この地球上に綺麗な水や空気が満ちているからこそ、そして、動植物の命をいただいているからこそ、日々の生活ができています。
仏典には、この世に命いただくことは「有難し(あることがむずかしい)」と説かれ、これが「ありがとう」の語源だとされます。
新しい年を迎えられたことに心から感謝し、「ありがとう」の花を咲かせながら歩んでまいりましょう。