掲示板法話

掲示板法話「お墓参りしたらいいことある?」

掲示板法話「お墓参りしたらいいことある?」

人生にも句読点を

知り合いの臨済宗のお坊さんが、坐禅とは「人生の句読点」だと言っていました。

まさしく禅問答のような表現ですよね。

どういうことかと申しますと、いまここに書いている文章に、最初から最後まで、句読点、つまり「、」「。」を打たなかったらどうでしょうか。文章の意味はおよそ理解できるはずです。でも、句読点があったほうが、理解しやすいし、読んでいてストレスもないでしょう。

人生もこれと同じで、坐禅をしなくても生きていくのに困りません。でも、私たちは惰性にまかせて生きていると、楽なほうへ楽なほうへと流されていきます。ときどき坐禅を組んだり、あるいは仏さまに向き合ったりする時間があればこそ、生活にメリハリができて、人生の質も向上していくのです。

眠気に負けてもいい?

龍岸寺でも、今年に入ったぐらいから、イベントやワークショップなどの折に、瞑想の時間をよく設けています。

これが思いのほか好評で、お寺で心を見つめたい人が多いことに気づかされました。そこで、この7月からは美容整体師と一緒に、心と身体の健康を考える「心と身体のbeauty salon」を実施しています。よろしければご参加ください。心も身体も元気に生きていく助けになると思います。

▶ 心と身体のbeauty salon

私が瞑想指導をするときは、慣れない人でもうまくリラックスしていただけるよう、おりんの澄んだ音色をお堂の中に響き渡らせています。

でも、あまりにリラックスしやすくて、問題をひとつ抱えています。そう、眠気に襲われるんです。

静かに座っているはずの参加者の皆さんの身体が、徐々にゆらゆらと揺れてくるのが見えます。

瞑想が終わった後、「眠気に負けてしまいます……」と、後ろめたそうに相談を受けたこともあります。

実は、法然上人も弟子から同じような相談を受けています。法然上人は、「目が覚めたらまた念仏に励みなさい」と答えられています。仏道修行だけではなく、仕事や勉強への向き合い方としても、たいへん参考になる言葉だと思います。眠気に襲われる自分を責めるより、起きている時間を有効に使いたいものです。

お盆に寄せて

ご先祖供養もまた、人生にうまく句読点を打てるような仕組みになっています。

毎日、仏壇に手を合わせられる環境があればいいですが、そうでない人も、お盆や、春と秋の両彼岸、そしてお正月ぐらいは、お墓参りを心がけましょう。そうすると、春夏秋冬に一度ずつ自分の生活を省みて、心を律することができるはずです。

お墓参りは本来、「自分のため」ではなくて、「ご先祖のため」のものですが、結果的には、自分の生活にも四季のリズムが生まれ、メリハリがもたらされます。先人たちの叡智といえるでしょう。

忙しかったり、生活が乱れていたりすると、「めんどくさいな」と思うときもあるかもしれません。でも、心が調わないときこそ、後ろめたさを抱えながらでもお墓参りに行って、一呼吸置くことが必要だったりするものです。お墓参りの帰りに、「やっぱり行ってよかった」と思った経験を、皆さんお持ちのはずです。

この夏、お盆のご先祖供養を、ぜひ心を込めてつとめていただきたいと願います。