掲示板法話

掲示板法話「自分らしく生きられてますか?」

掲示板法話「自分らしく生きられてますか?」

法然上人から学ぶ

来年は浄土宗が誕生して850年という節目の年です。

法然上人(1133-1212)は、15歳で比叡山に登って修行生活を送ること28年、43歳にしてようやく浄土宗を開かれました。

法然上人が探し求めたのは、「あらゆる人が救われる教え」でした。ひとにぎりの特権階級のものだった仏教の教えを組み替えて、広くあらゆる人たちに開いていく――これを実現するまでの歳月は、きっと果てしなくつらい道のりだったと思います。でも諦めずに、自分の気持ちに向き合い続けられたところ、結果的にいわば、「法然上人らしさ」に満ちたお念仏の教えが完成したわけです。

法然上人は稀代の天才とされた人ですが、そのような人でさえ、自分の心に響く教えを経典のなかから探し、それをうまく人に伝えられる体系にするには、相当な歳月がかかりました。「自分らしさ」を求めるのは、いつの時代にも難しいのでしょう。     

仏教が願う「自分らしさ」

さて、現代は個性尊重の時代。誰もが自分らしく生きるよう期待されています。

仏教では「自分らしさ」をどう理解するのでしょうか。

実は、仏教は「自分らしさ」とあまり相性がよくありません。なぜなら「無我」を説く仏教では、「自分らしさ(≒我)と思ってるものなんて執着にすぎない」というのが根本的なスタンスだからです。

でも、少し深く考えてみると、あえて「自分らしさ」を否定する理由が見えてきます。

みんなが自分らしく生きようと振舞えば、どうなるでしょうか。絶対にどこかで衝突が生まれたり、世の中がバラバラになったりしてしまいます。これでは本当に個性が尊重されているとはいえないでしょう。だから、価値観の違いを超えて、みんなが自分らしく生きられるように対話して手を取り合っていくべきです。ここに、「無我」の教えの現代的意味があります。

僕が僕らしくあるために

   どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
   「好きなものは好き!」と 言える気持ち 抱きしめてたい

槙原敬之さんの「どんなときも。」(1991年)のサビのフレーズです。

しんどいときでも、自分の心に正直であれ。これぞ自分らしく生きる一番の近道でしょう。かつての法然上人も、「あらゆる人が救われる教え」をずっと探し続けました。私たちもきっと、心惹かれるものに大切に向き合っていけば、やがては胸を張って自分らしく生きられるはずです。

仏教的に言うなら、自分の「好き」を抱きしめるだけでなく、他人の「好き」をも抱きしめてあげられると、さらに素晴らしいだろうなと思います。