住職の新しいお寺づくり

瞑想とは仏教版SFである

瞑想とは仏教版SFである

最近、SNSでよく瞑想の話を書いています。今年3月の春彼岸では、私が檀家さんに対して瞑想指導をしましたし、ふらっと訪ねてきた人とも求められれば瞑想の時間を持ったりしています。

でも、「浄土宗って念仏する宗派じゃないの?」「瞑想やってもいいの?」って疑問を持つ人もいるかもしれません。浄土宗を開いた法然上人は遺言状「一枚起請文」の冒頭でこう書いているからです。

「もろこし我が朝にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず」
(私が勧めている念仏というのは、中国や日本で多くの学者さんたちが説いてきた、仏様の姿を思い描いていくような念仏ではありません)

仏様の姿を思い描いていくというのは、ざっくり言えば瞑想の実践に他なりません。これを否定する法然上人は、「瞑想否定派」だということになります。

だったら、浄土宗のお寺でなぜ瞑想をするのでしょうか?

瞑想というのは、SF(サイエンスフィクション)にたとえるとわかりやすいと思います。

たとえばSF映画で、スクリーンに映る主人公が過去にタイムトラベルして、幼いころの自分に出会ったとします。私たちは、現実に時間をさかのぼれるなんてありえないと知っていますが、それでも平気で主人公に感情移入できるものです。幼いころの行動を書き換えようとやっきになっても、あいにくその試みが失敗に終わる、というのはお決まりのパターンですが、落胆する主人公を見ながら「ああ、やっぱり過去は変えられないか」と納得したりします。

仏教経典が記された昔のインドでは、映画を投影するスクリーンがありませんから、空想は脳内で膨らませるしかできませんでした。でもその分、脳内でイメージする力には秀でていたはずです。経典に描かれていた言葉を脳内でどんどん映像化し、その映像に感情移入して幸せになっていく。そのような営みが平気でできたのだと思います。

でも、瞑想はあくまで空想の世界。楽しいけど、非現実。非現実だけど、楽しい。

だから、私は、瞑想を楽しむことを仏教のゴールだとは考えていません。いや、これは私だけではなく、仏教経典を読めば、基本的に瞑想というのは仏道修行の初歩中の初歩として位置づけられています。

とはいえ、瞑想には魅力があることも認めます。法然上人が遺言状でわざわざ否定されたのは、要するに当時瞑想にハマっていた人たちがいたことの裏返しだと思います。せっかくなら、これをうまく活用しないなんてもったいない。だから、問題は、瞑想を実践することそれ自体じゃなくて、瞑想にハマって仏教を見失うことです。現代で言えば、SF映画を見すぎて、現実世界に着地できなくなることでしょうか。法然上人も、遺言状でこそピシャっと瞑想を否定しましたが、主著『選択本願念仏集』では、極楽浄土や阿弥陀さまを観察することを「観察正行」と呼び、一定の意義があることを説いています。

瞑想は神秘的な世界だと思われているかもしれません。実際には、まったく神秘的ではなくて、きわめて合理的なシステムで、端的に言うと人間の想像力、空想力に基づいています。

大仏を見ると、その大きさに圧倒されて、なんとなく気持ちがおっきくなります。

金色の仏さまを目の当たりにすると、その輝きで自分自身の心が明るくなる気がします。

私たちは日常生活のなかで、思考はつい乱れる方向に向かっていきます。そして、それにつられて心まで乱れてしまいます。これは想像力、空想力がマイナスに働いている状態です。

瞑想中はこれをプラスに変えていくわけです。つまり、日常を忘れて、美しいものや正しいものを想像し、それによって、思考を調え、心を調えていきます。そうすると自然と私たちの心は自然と平穏になっていく、というのが瞑想のロジックです。だから、瞑想中に仏さまを想像していくときには、はるか浄土にいらっしゃる仏さまがどんな存在かなんていったん忘れて、空想力を思いっきり働かせて仏さまを思い描き、その空想の仏さまを拝んで幸せになっていくといいのです。

ただ、勘のいい人は、疑問が残ると思います。

「じゃあ『南無阿弥陀仏と唱えたら仏さまが浄土に迎えとってくれる』という経典のお話も、あくまで空想の物語なの?」

まさしくそこが仏教徒が追求していく地平でしょう。

しかしながら、この問いに答えていくのは簡単ではありません。ひとつ言えるのは、このような目に見えない世界のことを考えていくには、まずは心を平穏に調えていく必要があるということです。だから、瞑想を楽しむところから、仏教の世界への旅を始めてみてはどうでしょうか、というのが私なりの提案なのです。

瞑想というのは、あくまで仏教の入口。誰でもできますし本当に簡単な実践です。とはいえ、昔の仏教徒みたいに脳内にいきなり仏さまをイメージするのは難しいので、試みに「聴くだけ」でもできるようにアレンジしたのがこちらです。お楽しみいただけましたら幸いです。