掲示板法話「修行したら超能力は使える?」
お坊さんって、修行を積んで特殊なパワーを持っていると思われていたりします。私たちからすれば「んなアホな!」と笑いたくなる話ですが、そう信じている人によく会います。
確かに、お葬式で読経するのは、亡き人をこの世(現世)からあの世(浄土)へと送るためです。異世界への転生なんて、まさにアニメやゲームの世界の話。それをコントロールするのがお坊さんだとすれば、立派な超能力者です。お坊さん、なかなかすごいお仕事です。まあ、公式見解としては、お坊さんの読経をきっかけに仏さまが迎えに来て転生が果たされるので、超能力があるのはあくまで仏さまのほうなのですが……。
さて、修行したら本当に超能力を使えるようになるのでしょうか。
経典を読むと、さとりを開いたお釈迦さまは、3つの超能力(神通力といいます)を使えるようになったと書かれています。その3つとは、
①宿明通(しゅくみょうつう)…はるか過去世からどんな命を送ってきたかがわかる
②漏尽通(ろじんつう)…………あらゆる煩悩(漏)を滅し尽くすことができる
③天眼通(てんげんつう)………これから起こることをすべて見通すことができる
だとされています。これを文字通りに受け止めれば、「お釈迦さま=超能力者」です。でも、私が経典を読んだかぎりではかなりの脚色を含んでいます。もともとは、弟子たちがお釈迦さまを、①過去を理解し、②現在をありありと見つめ、③未来から目を背けない、というぐらいに讃えていたのが、やがて神格化されて語られるようになったようです。
なんだ、お釈迦さまは超能力者じゃなかったんだ――失望の声が聞こえてきそうです。
果たしてそうでしょうか。
過去・現在・未来を正しく知って受け止めることを、私たちは本当にできるでしょうか。
たとえば、過去。歴史をさかのぼれば、疫病の恐怖におののいてきたことは数知れないのに、その教訓をすっかり忘れて、コロナ禍でギスギスし続けたのは記憶に新しいところです。
現在。ウクライナとロシアの戦争はその最たる例ですが、人と人は優しく接するべきだとわかりながら、ついぶつかってしまうのが私たちの悲しい性です。
未来。高齢化と少子化が同時に進むなら、この国が先細りすることは明らかにわかるはずなのに、なかなか男性の育休取得が進まないなど、子育てしにくい環境が変わりません。
そうなのです。私たちは、過去からも現在からも未来からも、なんとか目を背け、目を背けた分だけそのツケを払いながら生きているのです。したがって、お釈迦さまが、過去も現在も未来も受け止めて生きられたのなら、まさしく超能力者といえるのです。
もしかしたら、厳しい修行を積んだ先には、自分の過去生がありありと見えたり、他人の心の中をのぞき見れたりという、いわゆる超能力が使える境地があるのかもしれません。でも、目の前の現実さえ見たくない私たちに、その境地が開かれるのは遠い先の話でしょう。
だから、「超能力は使える?」と聞かれたら、お釈迦さまはこう答えたでしょう。
「物事を正しく受け止める力こそ、私たちが発揮できる特別な能力なのです」と。