掲示板法話「ほとけさまは本当にいるの?」
今月の掲示板の言葉は、私の長男えんちゃんの素朴な疑問です。
息子からたずねられ、そういえば私も子供の頃に同じように悩んだことを思い出しました。皆さんはいかがでしょうか。仏さまは本当にいると思いますか?それとも仏さまなんて作り話だと思いますか?
少し前、法事でお檀家さんご一家がお参りに来られた時のことです。
お座敷で待ってらっしゃるところに「本堂へどうぞ」とご案内にうかがうと、幼いお孫さんがいまウルトラマンにハマっているらしく、ちっちゃなフィギュアをいくつも並べて楽しそうにしていました。お孫さんは、そのままウルトラマンと一緒に本堂へ。導師の席に座った私は、前にも正義のヒーロー(阿弥陀さま)、後ろにも正義のヒーロー(ウルトラマン)という、いつにもましてありがたい雰囲気のなかで読経を始めました。
読経しながら、「ん?仏さまとウルトラマンはそういえば似ている?」と思いました。
数多く説かれる仏さまのひとり、阿弥陀さま。お名前の由来は、昔のインド語の「アミターバ」で、これは「はかりしれない光」という意味です。経典によると、極楽浄土という光の世界からやってきて私たちを迎えとってくれるのが、阿弥陀さまです。
一方のウルトラマン。仏さまと見た目はまるで違いますが、初期のテーマソングには、「光の国から僕らのために来たぞわれらのウルトラマン」と歌われています。
つまり、ウルトラマンと仏さま、どちらも「光」のヒーロー。私たちを助けに来てくれるという世界観もほぼ一緒です。
でも、「ウルトラマン≒仏さま」と考えると、わかりやすいようでありながら、お寺としては困った事態に陥るのです。ウルトラマンはあくまでアニメのなかの空想の話だからです。身の危険を感じたときには、ウルトラマンを呼ぶよりは、警察に通報すべきです。しかし、仏さまはどうでしょうか。やはり空想に過ぎないのでしょうか。苦しいとき、困ったときに、仏さまを拝むことは無意味なのでしょうか。
私が思うにですが、ヒーローの姿がそのとおりに存在するかよりも、いつの時代にも人々は「光」を願い求めてきたことに、真理が宿っていると気づくべきでしょう。
ダイヤモンドが至高のプレゼントであるように、光り輝くものに、私たちは憧れを抱きます。本堂に安置されている仏さまも、金箔の輝きに包まれています。仏さまを拝むとき、その輝きに照らされて、私たちまで明るくなれます。いや、仏さまを前にせずとも、ダイヤモンドを身につけずとも、心のなかに光を思えば、目の前の現実はいくら苦しくても、心のなかに光は差し込んできます。
だから、「ほとけさまは本当にいるの?」と聞かれたら、お釈迦さまはこう答えたでしょう。
「ほとけさまはいます。光を見ようとする人の心の中に」
本稿を最後まで読んでくださったあなたの心に、いまほのかな光が宿っていることを切に願っています。