掲示板法話

掲示板法話「さとりって本当に開けるの?」

掲示板法話「さとりって本当に開けるの?」

ファンキーな言葉で知られるこの掲示板。最近は住職の長男えんちゃんがイラストで賑やかに彩っていた掲示板。勝手ながら、今回から180度路線が変わります。

テイストを変更する理由は2つあります。

1つには、2018年から行われている「輝け!お寺の掲示板大賞」(主催:公益財団法人仏教伝道協会)が注目を集めたために、ウケ狙いの変化球を用いたお寺掲示板が増えたこと。龍岸寺はこの掲示板賞レース以前から、SNS映えを意図し、通りがかりの人がついツイッターやインスタグラムにあげたくなるような掲示板の言葉を選んできました。掲示板大賞で表彰を受けた「NO ご先祖, NO LIFE」は、繰り返しテレビでも紹介されました。でも、変化球は意表をついて面白いんですが、野球と同じでやはり直球が走ってこそ……。

もう1つは、コロナ禍です。コロナ禍の神仏に「祈る」しかないような日々を経て、私たちは「祈る」ことがすごく身近になりました。逆に、ファンキーな言葉はお寺の掲示板に求められていないような気がしておりました。

そのような環境の変化を考えると、ストレートに仏教の教えを伝えるべき時期に来ていると思いました。でも、ここでしか読めない深い「掲示板法話」をお届けするつもりです。

前置きが長くなりましたが、第1回目は「さとりって本当に開けるの?」です。

さて、「さとり」ってなんでしょうか。

私は、「理想の自分」ぐらいにとらえればいいと考えています。皆さんはどんな「理想の自分」を描きますか? 「お金持ちになりたい」「モテたい」「インフルエンサーになりたい」などいろいろあると思います。仏教的にはもっと違う理想を求めたい気もしますが、わかりやすくするために俗っぽい理想でもいいことにします。

「お金持ちになりたい」という理想を抱いたとして、どうするでしょうか。

1億円持っている人をねたんでも、1億円もうけることはできませんが、1億円もうけるすべを考える人には、1億円を稼げる可能性が生まれてきます。

理想の自分になりたければ、つまり、さとりをひらきたければ、私たちは「考える」ことがその第一歩なのです。考えに考え抜いた知の結晶を、ブッダの「智慧」と呼ぶのですが、その原石は私たちにも必ずあります。だから、仏教は「信じる」ものだとよく理解されていますが、実は「考える」ことを極めて大切にするのです。

お釈迦さまのスゴいのは、人間の持つこの「考える力」に気づいたことだと思います。せっかく人間として生まれたなら、ねたんだり、泣き寝入りしたりするよりは、自分自身を変え、世界を変えていくために、私たちに備わっている「考える力」を駆使しなさいと。

だから、「さとりって本当に開けるの?」と聞かれたら、お釈迦さまは「考えた分だけ、人はさとりに近づけます」と言ったにちがいありません。

いま、この文章を読みながら、なにかしらを考えた人はすでにもう仏教の入口に立っています。理想の自分に近づくために、一緒に、仏教の世界へと旅していきませんか。