お寺の日々

10月の掲示板

10月の掲示板

17年前。大学院時代に、ドイツ旅行に行ったときの話である。

研究に行き詰った私は、本場でクラシック音楽を聴きたくて、1ヵ月間、ドイツとオーストリアに逃げた。最初にフランクフルトに入った後に、南に電車で2時間半ほど下がったところにあるウルムという町に向かった。駅を降りてメインストリートをぶらぶら歩いていくと、 神に導かれたかのように、空を指してそびえたつ大聖堂が現れた。もう有無を言わせない圧倒的な光景だった。信じる宗教の違いを超えて、心を打たれた。

何日か滞在して、大聖堂のある光景に慣れた頃に、この町は大聖堂を中心にデザインされていると気づいた。

ウルムの大聖堂は162メートルあり、有名なケルンの大聖堂を抜いて、実は世界一の高さを誇る。その大聖堂がど真ん中にある。人口は約10万人ほどなので、高層ビルが立ち並ぶこともないから、どこにいても大聖堂が見える。 ドナウ川の河畔などを散歩しているときにも、 下の写真のように、大聖堂が自然に目に入る。

滞在中の宿がたまたま大聖堂のすぐ近くだったので、朝は鐘の音で目覚め、出かけるときには大聖堂に「いってきます」、そして、戻ってきたら「ただいま」という日々。慣れない異国の地だったが、大聖堂がそばにあると心が暖かかった。

このウルムは典型的な例であるが、教会や大聖堂を中心に作られているヨーロッパの町はたくさんある。オーストリアの首都ウィーンもシュテファン寺院がど真ん中にある。

日本はどうか。

お寺を中心に町を作るという事例を聞くことはない。家を建てたり買ったりするときも、駅や学校やショッピングモールへのアクセスばかり気にして、お寺へのアクセスは後回しである。

もちろん、駅や学校が近くにあることは、生活していくうえで大切だ。しかし、利便性だけ追い求める生活は、どこか息苦しくないか。

日本の町は、お寺を中心にして作られていないが、お寺は町の至るところにある。全国のお寺の数は、コンビニよりもはるかに多く、7万を超える。

せわしなく生きていると、町の風景のなかに埋没しているお寺。見ようと思えばいくらでも見えるのに、見ないで通り過ぎているのではないか。

「お寺のある風景 心のホーム画面」

学校に行きたくない時もある。
職場に行きたくない時もある。
家に帰りたくない時もある。
居場所がなくて自ら命を絶ちたいと思う時もある。

でも、どんなときでも、心の底から「ただいま」と言える風景は、 私たちのすぐそばにある。そのぬくもりにどうか気づいてほしい。

龍岸寺オリジナルホーム画面
URLをクリックして、ダウンロードしてください。 ※期限11/1まで

『阿弥陀様』
https://7.gigafile.nu/1014-b2905c6ee5d850a708d2926569b85e463

『本堂』
https://7.gigafile.nu/1106-cd7b76c1d0e5c5c1eb536c5722b1f0b53