人を育てるのってどうしたらいい?

また子育て!?
去年の2月に、弟子が2名入門しました。どちらも女性で、一般家庭の出身です。
子供2人が中学生と高校生になり、ひとり親の子育てもだいぶ落ち着いたかと思いきや、また新たな子育てが始まったような感じがしています。
「お弟子さんは住み込みですか?」とよく聞かれます。確かに、住職と同じようにお寺のなかで暮らしてはじめて見える景色はあるでしょう。ただ、個人のプライバシーを尊重する時代には、住み込みはお互いに精神的にしんどいと思います。寝食は別にして、お寺に来るのは仏事がある日を中心にしてもらい、自宅で過ごす日には、この掲示板法話の担当月の原稿を考えるなど、在宅でできる修行に励んでもらっています。
人を育てる難しさ
そんなわけで、「人を育てる」ことに向き合う日々が相変わらず続いています。「人を育てるのってどうしたらいい?」と尋ねられることもありますが、人を育てるのがいかに難しいかを身をもって感じる日々です。
弟子の育成に関しては、読経や法衣の着脱などは、教えるべきカリキュラムがあります。カリキュラムがあるものを伝授するのはそこまで難しくなくて、AIでも師僧として指導できるでしょう。しかし、念仏を唱えるときの心構えのような、もっとも本質的で精神的な部分はなかなか伝授しにくいです。
私自身を省みても、文献を読んだり修行道場で教わった時間よりも、先達のお坊さんたちの真摯に生きる背中に接するなかで、念仏の教えのなんたるかを体感したところが大きいように思います。
心に芯を持って生き抜こう
私が幸運だったと思うのは、お寺に生まれ育ったおかげで、戦前の教育を受けた明治・大正時代生まれのお坊さんたちの気概に満ちた姿を、たびたび目の当たりにするご縁をいただいたことです。
いくつか印象的な景色を覚えています。龍岸寺によく法話に来られていた山本空外上人(1902~2001)は、ことあるごとに「私の念仏は世界一や」と語っていました。私は小学生でしたからちんぷんかんぷんでしたし、周りの檀信徒の方々もどれぐらい理解されていたかわかりませんが、その気迫には確かに世界一だと納得させるものがあり、皆聞き入っていました。また、総本山知恩院の執事長をつとめた北川一有上人(1925~2022)は、90代の半ばまで、一人でご自坊のある東京と京都を月に何度も往復されていました。周囲は冷や冷やしましたが、仏教には命がけで守るほどの価値があるのだということを教わった気がしています。
もっとも、あまりに精神論を振りかざして後進を育てるのは、現代ではハラスメントと受け取られかねません。コンプライアンスやプライバシーへの配慮も必要でしょう。しかし、自分の心に芯を持って生き抜いた姿から私は多くを学びましたので、私もそのような生き方を志すことが、なによりも人を育てるということにつながっていくだろうと信じています。