ご縁ってなんだろう?

本格的に寒くなってきました
年が明けて、まだまだ寒い日が続いています。この時期になると、受験や就職活動の終盤にさしかかり、最後の踏ん張りどころの方も沢山いらっしゃるだろうなと思います。前が見えなくなって心が不安定になったりする人もいるでしょう。この記事が一助になれば嬉しいです。
ご縁
人生の節目に頻出してくる単語が「ご縁」。結婚する時に「ご縁があったんやね」と言われたり、就職活動のお祈りメールでは「今回はご縁がなかったということで……」といった具合に、ご縁に触れる機会が多くなってくる。ご縁を辞書で引くと仏教的な意味として「果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情」という説明がされている。私の理解では、「今、目の前にある結果は、これまでの様々な要因(原因)が重なって起こっている」だと思っている。
受け入れたくないご縁
では、志望校に受からなかった、希望の就職先に内定を貰えなかったとき、「それもご縁だ」と言われたら素直に受け入れられるのだろうか? 悟っておられる仏様であれば受け入れられるのかもしれないが、実際、その時、特に真っ只中にいる間は受け入れられないと思う。結果がどうであれ、目標を達成するために血のにじむような努力をしたという過程は、変わりない事実だからだ。問答無用で「それもあなたのご縁なんだから」なんて言葉で片付けられてしまったら、私は悔しくてたまらない。
どうすればいいの?
ご縁というのは、様々な原因の結果ということであった。この様々な原因を考えてみて欲しい。
そもそも目標も自分の様々な経験が絡んでいる。経験の中には、周囲から強いられた事もあるだろうが、自ら行ったものもあると思う。美味しいご飯が好きで自炊をする。友人に食事を振舞い、喜んでもらえた。そして料理を続けていたら結果的に料理人になる人もいるだろう。
この原因を作る行為(この場合、自炊)は意図的にできる。自分の意志で原因を作ることもできると考えたら少し楽になる。
また、今、目の前の起きている結果のほうは、客観的にみてどうだろうか? 雨が降る日は、現代人にとっては憂鬱だが、江戸時代の農民にとっては嬉しい出来事になる。物事の捉え方は様々であり善悪を決めているのは自分自身だ。結果自体には善も悪も存在しない。ただ、自然現象として雨が降るだけである。
もしかしたら、自分が今行う行為(原因)が今後のご縁(結果)を生むかもしれない。ご縁だから仕方がないと諦めるより、目の前の結果を受け止め、未来のご縁に向かって今できることをするのもありなんじゃないかなとも思う。

文 龍岸寺徒弟・森田陽香