夢は大きいほうがいい?

謹賀新年
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
この一年がどのようであってほしいか、皆さんそれぞれに心に期するものがあると思います。「元気で長生きしたい!」と願う人もあれば、「受験に合格したい!」「今年こそ彼氏が欲しい!」などと願う人もあるでしょう。どの願いが正解ということはないですが、どうせなら簡単に手の届きそうな目先の幸せを望むのではなく、到底かなわないぐらいの大きな夢を見てほしいと思います。
仏教徒の夢
世界中の仏教徒が、昔から共通して願ってきた夢があります。それは「さとりを開きたい」という夢です。
では、「さとり」の境地とは、いったいどんなものなのでしょうか。辞書的な説明では、「さとり」とは煩悩がなくなった心穏やかな状態だとされます。しかし、不思議なことですが、それがいったいどんなものか、そして、修行したら本当に到達できるのか、よくわからないのです。なぜなら、およそ二千五百年前を生きたお釈迦さまはさとりを開いたらしいですが、その次にさとりを開くと経典で予言されている弥勒菩薩がこの世に生まれるのは、五十六億七千万年も未来のことだとされているからです。私たちの生きている時代には、当然、さとりを開いた人はひとりもいないということになります。
この伝説がどれぐらい真実であるかはともかく、わが身を顧みればさとりを開くというのは極めて難しく、そして、身の回りにもさとりを体現した完璧な人格者がなかなかいないことは、納得できるところでしょう。
それでも大きな夢を
したがって、誰も知らないさとりの境地というのは、まったく得体がしれません。こんな得体のしれないものを目指して、よく先人たちは歩んでこれたなぁと驚嘆します。しかし同時に、究極の理想をかかげて挑み続けたところに、仏教が二千五百年もの歳月にわたって続いてきた秘訣があるとも思います。
人間というのは、手の届くところにある小さな目標を目指しても、そこにほとんど成長はありません。逆に、無謀かもしれませんが、「さとりを開きたい!」というぐらいの究極の理想に向き合ったら、どうでしょうか。自分の煩悩にまみれた姿が痛感されてきますし、自分を律しようという意識が生まれてくるはずです。そして、自分自身を律するのはなかなか難しいので、仲間と手を取り合おうとするはずです。仏教の教団というのは、壮大な理想を目指したがゆえに続いてきた組織といえるでしょう。
皆さんそれぞれが新年に願っている夢もきっと同じです。夢が大きければ大きいほど、自分が変わっていくチャンスが生まれます。夢に向かって歩む姿に共感の輪が広がれば人間関係も深まっていくことでしょう。
本年が、皆さんの夢に近づいていく良い日々でありますように!

文 龍岸寺住職・池口龍法