どうしても無理なときはどうする?

いまの私です
この掲示板の言葉は、毎月更新することにしていますが、なにを書こうかまったく思い浮かびません。
理由ははっきりしていて、先月忙しすぎたからです。定例の秋彼岸法要に加え、今年は万博への出演、そして、庫裏改修工事の佳境…とさまざま重なって、完全にキャパオーバー。すみません、掲示板の言葉まで頭が回りませんでした。ということで、逆転の発想で、「どうしても無理なときはどうする?」という冒頭の問いに至っています。
自業自得!
ろくに準備もできていない状況で、十分なクオリティの原稿を書くすべはありません。子供の頃、定期テストの勉強をせずに、試験に臨んだらどうなったか。「知ってる問題だけ出てくれ!」なんて願っても、現実はそんなに甘くありません。それと同じです。まあ、「自業自得」っていうやつです。
もっとも、仏教でいう「自業自得」は、過去世の業によって現世の境遇が定まり、現世の業によって未来世の境遇が定まるという長い時間軸の中で因果を考えます。このようなスケール感で「自業自得」を理解するのは難しいかもしれませんが、過去の軽率な振る舞いが禍を招くという「自業自得」がわが身にもありふれているのは、誰もが身をもって知っていることでしょう。
開き直ってみたら?
私たちはサボったツケから逃れられません。でも、仏教では、サボったことは「悪」でありますが、ツケは「悪」だとは考えません。ツケは、嫌な思いを味わえば清算終了で、それ以上でもそれ以下でもありません。
したがって、どうせ過去のツケから逃れられないなら、いま目の前にある困難をから目を背けてジタバタするよりは、どっしり開き直ってチャンスに変えようと足掻いてみるほうが、案外正解だったりします。
定期テストの問題用紙を前にして、わからないから白紙のまま提出するのか。なんとか答えをひねり出そうとするのか。次回のリベンジを期する原動力にするのか。困難の向き合い方にはさまざまあります。
この原稿も、追い詰められている状況をせめて楽しんでみようとつらつら書いているうちに、出来不出来はともかく、なんとか仕上がりました。ブッダの智慧に感謝!

文 龍岸寺住職・池口龍法