掲示板法話

お坊さんって霊感あるの?

お坊さんって霊感あるの?

期待を裏切りますが…

世間の人々のなかには、「お坊さんたちは霊が見えている」「修行したら霊感が身に付く」などと勝手に想像を膨らませている人が、少なからずいらっしゃるようです。皆さんの期待を裏切って申し訳ないですが、私の知るかぎり、霊感のないお坊さんのほうがはるかに多いです。

霊感がなくても、僧侶として生きていくうえで支障はありません。浄土宗の教えにおいては、亡くなった人の魂を救済するのは私たちお坊さんではなく、阿弥陀如来だからです。霊魂のような見えない世界のものが認識できるかどうかはささいな問題で、それよりも正しく拝むことのほうがずっと重要なのです。

心の視力を鍛える

しかしながら、経典を読めば、「修行したら神通力(=超能力)が身に付く」と、繰り返し記されていることも事実です。この神通力のなかには、他人の心を見抜く力(他心通)や、自分自身の過去世を知る力(宿命通)なども含まれていますので、神通力とは霊感に近しい力と言えるでしょう。

また、仏道修行が深まっていくと、欲望の渦巻く世界(欲界)を離れ、物質的な制約のある世界(色界)も超えて、純粋に精神的な世界(無色界)に入れるということも、経典には体系的に述べられています。

このような仏教の世界観を説明するにはかなりの紙数が要ります。いまは簡潔にだけ記しますが、精神世界を見るための要点は2つです。まずは、物質世界を見る肉眼を閉じて、自分自身の心の眼をしっかりと開くこと。そして、もうひとつは、心の視力を鍛える「筋トレ」を続けていくこと。そうすれば、精神世界を高い解像度で見ることができる(つまり霊感が身に付く)と、仏教では考えてきたのだと私は理解しています。

精神修養に仏教を

そのようなわけで、仏道修行は、心の筋トレ的な面も持ち合わせていますが、現在の日本では、この側面はあまり重視されていません。むしろ、各宗派で継承されてきた様式にしたがって、ご本尊を正しく敬い、ご先祖の供養を実践することに重きを置く傾向にあります。これも仏教のひとつの美しい伝統でしょう。

しかし、霊感にフォーカスしすぎると仏教の本質に背くかもしれませんが、自分自身の精神の力を高めることを意識して、仏教を活用するアプローチも素晴らしいと思います。このような方面での活用が進めば、仏教と出会って霊感が身に付く人は自然と増えていくのではないでしょうか。