掲示板法話「仏教は失恋に効く?」
失恋のどん底で
「池口さん、仏教って失恋に効くんですかね?」
30歳ぐらいの時、同い年の親友が、私に聞いてきたことがあります。愛してやまなかった彼女との恋が終わり、悲しみに打ちひしがれている様子でした。彼はお坊さんではありませんが、学問として仏教を研究していて、私と変わらないぐらい経典の言葉に接していました。でも、仏教を学んできても、失恋はやっぱり相変わらず苦しかったんですね。だから、私への質問は、彼自身の自問でもありました。「こんなに苦しいときに仏教が役に立たないのなら、なんのために仏教を学んできたのだろうか」と。あるいは、「仏教の学び方が間違っていたのかもしれない」と。
見つからない答え
恥ずかしながら、私も彼の心に響く答えを、見つけられませんでした。
なぜ、仏教に長年親しんできていながら、答えが出せないのか。
二人とも、呆然としながら、その理由がはっきりとわかっていました。
経典のなかで理想とされるのは、ストイックな出家修行者の姿です。恋愛や結婚などせず、土地や財産も持たず、人里離れたところでひっそり暮らす。そうすると、俗世のわずらわしさからは解放されて、自然と心静かになれるのです。
なるほど、これには一理あります。娑婆世界には、一見、楽しいことがたくさんあります。恋愛もそのひとつでしょう。でも、順風満帆に思えた恋も、わずかなボタンの掛け違いからギスギスし始め、やがては別れが訪れたりするものです(愛別離苦)。だから、つかの間の愛に溺れてかえって苦しむぐらいなら、はなから恋愛なんてやめたほうがいい――仏教にはそのようなクールな割り切り感が、深く根差しています。
とはいえ、建前はともかく、人はつい恋に落ちます。失恋は、ほとんどの人が経験する心の痛み。この痛みにさえ寄り添えないようなら、仏教は生きていくうえで心の支えにならないと映っても仕方ありません。
諸行無常のまなざし
彼とは、その後3年にわたって一緒に経典を読み漁り、参加者を交えてのイベントも定期的に行いました。
失恋したばかりの頃は、「永遠の愛」を願っていたかもしれませんが、あらゆるものは移ろいゆくという「諸行無常」のことわりを、やがては素直に受け取れるようになりました。「諸行無常」をいう言葉に日頃から接していた分、多少、早く立ち直れたのではないかなぁと思います。
「永遠の愛」なんて絶対に存在しないのか、本当のところはわかりません。もしかしたら存在してほしいなという一縷の望みを抱くのが、人間らしい気もします。いずれにしても、私たち人間はつい熱しやすい生き物。心を否応なくクールダウンさせてくれる視線は、大きな道しるべになるでしょう。そして、「諸行無常」なら、また新たな恋もあるだろうと思えると、未来を向いて歩いていく力になるのかもしれません。