掲示板法話「なんのために生まれて、なにをして生きるの?」
アンパンマンの問い
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ
大人も子供も知っている、アンパンマンマーチの歌詞です。
子供の頃はなにも考えずに元気に口ずさんでいましたが、大人になってから改めて聴くと、深い問いかけをしていることに気づかされます。皆さんはどう思われますか。生まれてきたことの意味や、生きていることの意味について、はっきりした答えを持っているでしょうか。答えを見つけられないまま生きている人も、少なからずいるのではないでしょうか。
人生の意味は、学校でならう方程式などを使って、簡単に答えが求められるものではありません。それでも、生きる意味を問いかけてみること自体に、意味があります。いま自分が命をいただいているという、大切な事実に出会うからです。
たとえ胸の傷が痛んでも
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
アンパンマンマーチでは、サビで生きていることの喜びを歌っています。でも、手放しで喜んでいません。「たとえ胸の傷がいたんでも」という一言が加えられています。
アニメの中では、なにも悪いことをしていないキャラクターが、バイキンマンにイジメられます。心を痛めたアンパンマンは、アンパンチでバイキンマンを力いっぱい殴り、空の彼方へと吹き飛ばします。かくしてつかの間の平和が訪れますが、バイキンマンはアニメの次の回では、性懲りもなくまた悪さをしにやってきます。そしてやはり彼方へと吹き飛ばされます。あるいはアンパンマンも、心を痛めているかもしれません。
苦しみという贈り物
このアンパンマンの世界観は、案外、仏教的な視点を含んでいると思います。
仏教では、この地球に生まれたことを2つの意味で喜びます。
1つには、苦しみがあること。なぜなら、天上界のような幸せな世界だと、怠け心がどんどん膨れ上がってしまうからです。正しく生きていてイジメられるなら理不尽ですが、苦しみがないよりはいいのです。
もう1つは、苦しみを抜け出す手がかりがあること。アンパンマンほどわかりやすく救ってくることはなくても、苦しみに寄り添ってくれる友達や、心の支えとなってくれる仏教の教えがこの地球上には存在するので、助けを借りながらたくましく成長していく道があるからです。
そう考えると、「なんのために生まれて、なにをして生きるの?」という問いは、歌詞が語っているように、「胸の傷みを喜びに変えていくために生きている」いうのが仏教的にも答えであり、どうかそのように人生の意味を受け止めて、勇気を心に抱いて生きていただきたいと願うのです。