掲示板法話

掲示板法話「お釈迦さまはどこがスゴい?」

掲示板法話「お釈迦さまはどこがスゴい?」

4月8日はお釈迦さまの誕生日。この日を祝う仏事が「花祭り」です。誕生したときに甘露の雨が降り注いだという言い伝えに基づき、お釈迦さまの像に甘茶をかけるのがならわしになっています。

花祭りが近づくと、お坊さんたちが集まったときにつぶやく、定番の愚痴があります。

「なぜクリスマスはあんなに盛り上がるのに、花祭りは……」

「クリスマスソングがあるなら、仏誕ソングも……」

「クリスマスケーキに比べて、甘茶は地味すぎる……」

そうです、日本にこれだけの数のお寺があるのに、花祭りの日は盛り上がりを欠くのです。仮に花祭りが開催されているお寺でも、子供向け行事という位置づけで、大人は蚊帳の外だったりします。

しかし!

龍岸寺では、今年、花祭りを行うことになりました。私が9年前に住職になって以来、初めてのことです。しかも、この原稿を書いている時点でほぼ定員に達しています。お釈迦さまの誕生日に大人がお寺にお参りする――至極当たり前の風景なのですが、実情を踏まえればとっても画期的です。

でも、ただ参詣者が集まればそれでいいわけではありません。お釈迦さまはどこがスゴいのか。それを正しく讃えられてこそ、花祭りの意味があります。

お釈迦さまは生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊(ただ我れ独り尊し)」と語ったという伝説があります。これを「俺こそ最強!(ナンバーワン)」ととらえるのではなく、「あらゆる人はかけがえのない存在(オンリーワン)」だと理解する説が、今世紀になったぐらいから急速に普及しています。 でも、仏典を少しでも読めばすぐにわかりますが、「天上天下唯我独尊」は、後世の仏教徒による、お釈迦さまをたたえるための作り話です。首も腰も座っていない赤ん坊が歩いたり喋ったりするはずもないし、もしそんな情景を見たら、それこそ「お前、最強だよ」ととっさにひれ伏してあがめるでしょう。とんでもない伝説を創作した人たちの狙いはまさしくここにあります。

もし、お釈迦さまのことを本当に理解したいのなら、誕生のエピソードよりも、6年の歳月の果てに覚ったのはなんだったのか、ということに目を向けてほしいと思います。

といいつつ、あいにくこれを詳しく話すには紙面が足りないので簡潔にだけ書きます(←Web上では紙面が足りないとはないんですが、もともと配布用の原稿なのでそこは察してください)。

仏教のテーマは「輪廻からの解脱」だとされています。

もともとインドでは前世のカルマによっていまの私たちの命があると考えました。これが輪廻です。悪業を積んでいれば、運よく人間に生まれてきても「親ガチャ」でハズレを引き、幸せに生きられない――そんな風に本気で信じられていました。でも私たちも、「金持ちの家庭に生まれていたら楽しく暮らせたのに」とか、「もっと才能があれば成功できたのに」とか、生まれ育った境遇のせいを言い訳にして現実から目をそらし、負のループに陥ったりします。これも大きな意味では、輪廻的な思考です。

言い訳を重ねて生きるのは、格好いいものではありません。現実はなにも変わりません。それよりは苦しみの原因に目を向け、苦しみを解決するために歩みなさいと教えました。そこに、私たちの人生が輝いていく鍵があり、お釈迦さまが讃えられてきたことの本当の価値があるのです。