掲示板法話

掲示板法話「お彼岸ってなあに?」

掲示板法話「お彼岸ってなあに?」

だんだんと日差しも柔らかくなり、春めいてまいりました。

暑さ寒さも彼岸まで。冬の寒さをしのぐのも、もう少しの辛抱です。

さて、今月のテーマは「お彼岸」です。

もう4~5年前だろうと思いますが、浄土宗のご門主である伊藤唯眞猊下と近くでお話させていただいたことがありました。

猊下は、メディアのインタビューを受けているときに、「仏教で『希望』にあたる言葉はありますか?」とふと尋ねられたそうです。猊下は、しばらく悩まれ、「『彼岸』がそれに当たります」とひらめき、そう答えられたそうです。
このエピソードを私に語ってくださったときの猊下の顔は、「ドヤ」と言わんばかりの表情でありました。私のほうも、「さすが猊下」「うまいこと言うなぁ」と感服いたしました。

とはいえ、なぜ「彼岸」が「希望」なのか、少しばかり解説が要ると思われます。

「彼岸」を辞書で引きますと、およそ2つの意味が載っています。

1つは、春分または秋分の日をはさむ前後3日間。今年の春分の日は3月21日ですから、春彼岸の期間は3月18日から24日の合計7日間ということになります。

もう1つは、理想の世界のこと。極楽浄土と言ってもいいでしょう。いま私たちがいるこちら側の世界を「此岸(しがん)」と言いますが、いわばドロドロとした煩悩のうず巻く世界。なんとかして川の向こう岸つまり「彼岸」へと行きたいというのが仏教徒の願いです。

この2つの意味は、現代の私たちにはあまり関連性がないように思えるかもしれませんが、昔は違いました。天体の動きは、人間の感情と密接に結びついていました。

たとえば、昔のインドの在家仏教徒は、毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日(六斎日といいます)に戒を守ろうとつとめました。昔のインドも太陰暦ですから、この6日間はすなわち上弦の月、満月、下弦の月、新月に当たるわけですが、これらの日は、神々と人々が近しいとインドでは受け止められていました。戒を守れば、それを神さまは見ていてくださるから、正しく生きようとしたわけです。

お彼岸も同じです。太陽が真西に沈む春分と秋分の日は、西のはるか彼方にあるという極楽浄土が、そして、そこに先に旅立っていったご先祖が、近しく感じられる日なのです。このような感情は、太陽や月がなくても、蛍光灯やLEDライト、さらには、スマホのバックライトにいつも照らされている私たちには、あいにく縁遠いものになったかもしれません。

ついでに申しますと、夏のお盆は8月13日から8月15日です。お釈迦さまが涅槃に入った日は、2月15日です。いずれももともとは太陰暦でつとめられたものですから、夜空に輝く満月を、昔の人は手を合わせて拝んだのです。

このように見てまいりますと、「お彼岸ってなあに?」の答えは、伊藤猊下がいみじくもおっしゃったように「希望」に尽きます。毎月解説の最後に「お釈迦さまならどう答えたか?」を載せていますが、お釈迦さまもきっと猊下の見識に感服しただろうと思います。