住職の新しいお寺づくり

ファン通信創刊の裏側

ファン通信創刊の裏側

新しい寺報の形

この9月に「龍岸寺ファン通信」を創刊した。B5サイズ12ページ、フルカラーの中綴じ冊子である。今後、春秋の彼岸に合わせて発行していく。

もっとも、「創刊」と書いたけれど、龍岸寺では以前から春秋の彼岸と十夜の法要前には、全ての檀信徒あてにニュースレターを送っていた。先代住職はB4サイズの紙に文字がぎっしり詰まったものだった。私の代になってからは、サイズは同じだが写真を入れてカラーで印刷して読みやすくした。以下は今年の春彼岸のニュースレター(表面)である。このときは、表面にお彼岸の案内と晋山式の準備の話。裏面には浄土系アイドル”てら*ぱるむす”や冥土喫茶ぴゅあらんどの話。

今年春までのニュースレターはこのスタイルだった

しかし、労力に見合うだけの反応がどうも返ってこなかった。

お寺のニュースレターに限らずであるが、日頃から編集の仕事に携わっている実感として、文章によって読者の心を打つことが、本当に難しくなっているように思う。綺麗に撮れた写真をうまく使い、キャッチコピーにも気を使って初めて、目に留めてもらえる。

これは、時代状況を考えると仕方のないことではある。ネット上に膨大な情報が蓄積されているから、新聞や雑誌を丁寧に読み込まなくても、必要な情報にはいつでもアクセスできる。お葬式のお布施の相場も、恥をしのんで親戚などに聞いてまわったりしなくても、ネット上で調べれば大体のことはわかる。便利な時代にはなったのだろうが、一つ一つの情報が軽く扱われるようになった。

上に載せたニュースレターも、いま改めて見直してみると、自分で作ったものでありながら、まったく読みにくい(笑)これが心に響くはずがない、少なくとも現代人の感覚からすれば。

以下は、「龍岸寺ファン通信」のお彼岸案内であるが、比較すればぐっと洗練されたのがわかる。

龍岸寺ファン通信 創刊号 p2, p3

もっとも、従来のニュースレターへの反応が薄かったとすれば、そこにてこ入れするのではなく、いっそ廃止してしまうか、あるいは簡略化するという方法もありえた。他のお寺では、法要の案内をハガキ一枚で済ませているところもある。それでも構わないのだろうが、私としては遠方に住む檀信徒に情報を届ける手段を捨てたくはなかった。

以前、仏教井戸端トークのコラムにも書いたことがあるが、お寺周辺はどんどん「檀信徒のドーナツ化現象」が進んでいる。お寺の境内に墓地を持っている檀信徒さんは、もともとお寺の近くに住んで居た人が多いが、そこのお子さんが新たに所帯を構える際に「お墓参りしやすいところがいい」と考えるケースはまずない。判断基準になるのは、仕事の都合や子供の教育環境などだろう。そうすると、住まいはどんどんお寺周辺から離れていく。お盆のお参り(棚経)にうかがう檀信徒のうち、1キロ圏内にお住まいの方はわずか15パーセント程度。3キロ圏内でも35パーセント程度である。この数字には、お参りにうかがえないほどの遠方の方々(例えば関東や九州、それに海外)は含まれていない。

そうであれば、ハガキ一枚での広報に簡略化するよりも、遠方の方々に情報を丁寧に届けていくほうが大切だろう。また、奇抜なイベントで話題を呼ぶ龍岸寺が、本当のところは何を考えているのかということを参加者に伝えていくツールも必要だと痛感していた。多少の労力やコストがかかるとしても、しっかりとした冊子にして、写真と文章を駆使して、読み応えのあるものにしていこうと思った。この冊子を手に取るのを楽しみに、お寺のイベントに参加してくれるなんていうのも素敵な光景ではないか。

「龍岸寺ファン通信」というネーミングは、檀信徒の方々が遠方からでもますますお寺を愛してもらい、イベント参加者にもお寺を知って好きになってもらいたいという意図から生まれている。どんどんお寺のファンが増えていけば嬉しい。

伝えなければ伝わらないリアル

さて、冊子を発行するとして、なにを書くかである。

この1年余りの間に、龍岸寺開創四百周年の記念事業と、私の住職就任に伴う晋山式があった。お寺の瓦を葺き替えたり、照明や音響機器を入れ替えたりしたおかげで、お寺はずいぶん整備されたが、遠方に住む人々はこれを見る機会がない。晋山式当日の様子に関しても同様である。したがって、冊子のうち4ページをこの報告記事に充てた。

しかし、正直に言えば、冊子を作るうえで、これらの大事業以上にどうしても書きたいことがあった。それは、境内墓地に新しく建った、洋型のお墓のことである。

龍岸寺には、これまで洋型のお墓がなかった。洋型のお墓を禁止する規約などなかったが、暗黙の了解として、皆同じような和型のお墓を、同じような国産の御影石で建てる習わしになっていた。これは、個性を重んじるよりも、周囲との調和を重んじるという、戦後の日本人の横並び意識に基づくものだろう。また、和の文化の象徴たるお寺、そしてその境内のお墓には、洋型のものは認められないという変なプライドがあるのだとも思う。

私の目から見れば、どこの家も同じお墓を建てるという慣習のほうが、不思議なものに映る。お墓を建立するにはそれなりの金額がかかる。納骨堂や永代供養墓などに納骨するのではなく、あえてしっかりとしたお墓を構えるのなら、自分らしいお墓を建立したいと思うほうが自然ではないか。

そんなことを考えていた矢先に、「洋型のお墓を建てたい」と檀信徒の中井さんが言ってくださった。中井さんは、昨年奥さんを亡くした。お墓を建てるにあたっては、「どうしても洋型がいい」「奥さんの人柄に合わせて明るく目立つ色がいい」「永遠の愛と刻みたい」と希望された。その要望をすべて満足するのが以下のお墓である。

龍岸寺ファン通信 創刊号 p8

私は、中井さんの希望を聞いたとき、なるほどと共感するところが大いにあったが、これを許容していいのかどうか、住職としての判断は難しかった。お墓はいったん建ってしまえば、少なくとも数十年間は残り続ける。「近くのお墓の人がどう思うだろうか」「今後派手なお墓が増えてもいいのだろうか」「永遠の愛という言葉は仏教的にどうなのか」など、悩みに悩んだ。結局は、先に書いた通りであるが、お墓も個性の時代になっていくだろうという私の信念に従って、中井さんの希望をすべて受け入れた。

最後まで抵抗があったのは「永遠の愛」という言葉だった。「愛」は、仏教的には、渇愛をイメージさせる言葉である。あるいは、輪廻の生存を説明する「十二支縁起」の一つでもある。とはいえ、ダライラマ法王は、「慈悲」を”love and compassion”つまり「愛と共感」と訳すらしいから、そういう意味で「愛」を理解してもいいかということで、自己解決した。このあたりはもうひたすら僧侶のほうの勝手な理屈であって、たぶん在家の人々にはどうでもいい話である。「永遠の愛」は世間的にはすごく美しい話であるし、そう刻むことで、お墓を建てた本人が納得して手を合わせようと思うことが何より大切である。

7月にお墓が建って以来、中井さんは足が悪いにもかかわらず、長岡京市から毎週お花を持ってお参りに来られる。これほど頻繁にお参りに来られる方は、他にない。こだわりのお墓を建てた背景には、やはりそれなりの想いがあったと知った。これはぜひ誌面に紹介しなければいけないと思った。もし紹介しなければ、このお墓は、「境内墓地に奇妙なお墓ができたなぁ」「建てたのはきっと変わった人なんだろうなぁ」という目で見られていただろう。実際、冊子を発行して以降に、中井さんの隣のお墓の当主と話したら、いろいろと納得してくださった。中井さんへの見る目が変わったようだった。書いてよかったと思った。

中井さんがいかに奥さんのことを思い、「永遠の愛」と刻んだのか、皆さんも誌面をぜひ読んでほしい。愛する人とどう生き、どう別れていくのか、考えさせられるところがあるはずである。

他にも、誌面には、冥土喫茶”ぴゅあらんど”や浄土系アイドル”てら*ぱるむす”のことも載せたかったが、紙数の都合上、今回は断念した。12ページの冊子では足りないぐらいのコンテンツがあるということが、龍岸寺のいまの賑わいを象徴している。次号以降も楽しみにしていてほしい。

制作の舞台裏

ところで、「龍岸寺ファン通信」の構想が沸いてきたのは、お盆中だった。ページネーションなどを考えて、お盆明けの8月18日に協力してくれそうなデザイナーに相談。以上に書いた私の思いをつらつらと話したあと、「一週間ぐらいで校了したいけどできる?」と言ったら絶句された。その時点では、素材も半分ぐらいしかそろっていなかった。慌てずに来年の春彼岸に合わせての創刊でもよかったのだろうが、新しいことにチャレンジするのは少しでも早いほうがいい。無茶を聞いてくれたデザイナーさんにはひたすら感謝している。

そんな突貫工事で作った冊子なので、納品されて早々に気づいた誤字脱字もあったりするが、そのあたりも含めてお楽しみいただければ有難い。