龍岸寺の由緒
龍岸寺は浄土宗の寺院で、寺史によれば、元和2年(1616)(一説には元和3年(1617))に、僧 三哲(安井算哲/源蓮社長誉三哲和尚)により開かれました。僧侶としては無名ですが、碁方として歴史に名を遺した人物です。現存する位牌には正保4年(1648)を没年としますが、一般的には 慶安5年(1652)に入寂したとされています。
安井三哲の長子が、江戸幕府の初代天文方をつとめた渋川春海(算哲)です。寛永16年(1639)に生まれ、正徳5年(1715)に没しています。自作の暦が幕府に採用され貞享元年(1684)に天文方となり江戸に移住するとともに、屋敷跡がお寺として整備されました。
本堂・客殿
龍岸寺本堂は江戸時代中期の貞享年間(1684-1688)の棟札を持ちます。また、同じく棟札の年代によれば、客殿はこれより少し遅れて享保年間(1716~1736)に建立されています。
ご本尊として阿弥陀如来をおまつりしています。ご本尊まわりの極彩色の装飾、ご本尊外陣と内陣のあいだにある欄間彫刻の大威徳明王の威容などによって、本堂は荘厳さに満ちています。
これら古くからのたたずまいの良さを残しつつも、法事など各種行事でご利用しやすいように、椅子席を導入や、照明・音響関係も整備など、設備の現代化を進めております。
第二十四世住職
池口龍法
大乗仏教は、あらゆる人々が手をとりあって、個人の心の平穏、家庭の安心、社会の平和を築いていくための教えです。お寺が様々な縁の結び目として、多くの人々から慕われるように努めてまいります。
お盆、彼岸などの定例の法要をつとめるほか、京都の町の特性を生かして、職人や学生と積極的にコラボレーションを進め、お寺からの文化発信を進めるべく力を尽くしております。
なかでも、高い関心をいただいているのが、極楽来迎という仏教徒の願いを、テクノロジーの力によって表現する「ドローン仏」です(仏師・三浦耀山師との共同プロジェクト)。
他にも、冥土(メイド)喫茶や菩薩アイドルのプロデュースにたずさわってお寺文化への入口を設けたり、仏具職人が培ってきた技術を直々に体験していただくワークショップを実施したりするなど、硬軟織り交ぜながら、現代のすみずみまで信仰の力が行きわたるように、日々模索を続けています。
信仰問題に関するご相談、新しいコラボレーションの提案など随時受け付けますので、お気軽にお問合せくださいませ。