2人の三哲と龍岸寺

龍岸寺は浄土宗の寺院で、寺史によれば、元和2年(1616)(一説には元和3年(1617))に、僧 三哲(安井算哲/源蓮社長誉三哲和尚)により開かれました。僧侶としては無名ですが、碁方として歴史に名を遺した人物です。現存する位牌には正保4年(1648)を没年としますが、一般的には 慶安5年(1652)に入寂したとされています。

宝暦12年(1762)に著された「京町鑑」には、龍岸寺の山門前の通り(現 塩小路通/旧 三哲通)について以下の記述が見られます。

三哲通
此通ハ梅小路通也。三哲とよぶ事ハ此通大宮東入町北側に渋川三哲といひし人のやしきありし故に通の名とす。此屋敷地今ハ立願寺と云寺にて則三哲を此寺の開基とす。

渋川三哲とは、安井三哲の長子であり、江戸幕府の初代天文方をつとめた渋川春海(算哲)です。寛永16年(1639)に生まれ、正徳5年(1715)に没しています。自作の暦が幕府に採用され貞享元年(1684)に天文方となり、江戸に移住します。龍岸寺本堂は江戸時代中期の貞享年間(1684-1688)の棟札を持ちますので、渋川三哲は天文方となるまではここに居を構えて、研究を続けていたのだと思われます。

現在の住職

現在の住職は第二十四世にあたります。

大乗仏教は、あらゆる人々が手をとりあって、個人の心の平穏、家庭の安心、社会の平和を築いていくための教えです。お寺が様々な縁の結び目として、多くの人々から慕われるように努めてまいります。

この目的を果たす一助として、各種法要などを実施しているほか、定期的にイベントなども企画して街づくりにも携わっています。信仰問題に関するご相談など随時受け付けますので、お一人で悩まれずに気軽にお問い合わせくださいませ。

 


DSC_7103_small住職 池口龍法・プロフィール imgres

1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)など。