卍 第2回★「共苦(ニンジェ)の思想とジャパニーズ人情」開催レポート

 

2016.07.23(土)  天気:晴れ☀  記:メイドくーたん

ゲスト:辻村 優英氏
1980年奈良県生まれ。京都大学博士(人間・環境学)専門は宗教学。
総合地球環境学研究所技術補佐員、京都大学人文科学研究所共同研究員、
京都大学こころの未来研究センター共同研究員、立命館APU非常勤講師、
神戸大学経済経営研究所助教等を経て、
神戸大学経済経営研究所ジュニアリサーチフェロー, 高野山大学密教文化研究所受託研究員。
2012年1月~2015年2月、池口龍法(龍岸寺住職)とともに
「経典をナナメから読む会」を29回にわたって実施。
著書『ダライ・ラマ 共苦の思想』(ぷねうま舎)


第二回のゲストには、宗教学者の辻村優英さんにお越しいただきました!
人柄のにじみ出る柔らかな語り口で、チベット仏教を優しく紐解いてくださいます。
龍岸寺で29回にわたって開催された「経典をナナメから読む会」では、池口住職とともに、
「現代社会の日常的苦しみと経典を照らしあわせて読みとく」という試みをされていました。

ゲストによって進行の形式が変わるのも、ぴゅあらんどの見どころのひとつ。

今回は最初に辻村さんから、
「赤の他人と母親が同時に溺れている。どちらかしか助けられない。さて、どちらを助ける?」
という問いが投げられ、しばし会場で自由に話してもらう時間を取りました。


アンケートを取ったところ、過半数が「母親を助ける」という回答になりました。
「血縁」であったり、「義理」がそうさせるのではないか、という声があがり、
それらが日本人の一般的な感覚とひもづいている、という認識が共有できました。

対して、同じ問いをチベット人の僧侶に投げるとどう答えられるのでしょうか。
辻村さんによると、「血縁に関係なく助けやすい方を助ける」という答えになるのではないか、とのことです。
チベット世界においてはその感覚のほうがむしろ一般的だそうで、
ここに特有の価値観、人との繋がりかたをみることができます。

バックにあるものは、「輪廻転生」の思想です。

溺れている人が母親でも、赤の他人でも、いのちの源流において繋がっている。
すなわち、すべての「有情(=こころあるもの)」は、過去世における母親である。
と考えることができるのです。
いま隣にいる人も、自分の生まれ変わりであるかもしれない。
そのスケールの大きさは、なかなか一筋縄では理解できない感覚だと思います。


続いて、日本的な思いやりである「人情」と、
チベット的な思いやりである「共苦(ニンジェ)」に関連性はあるのか?
という、くーたんの素朴な疑問から、
「情」ということばの解釈のちがいに迫っていきました。

チベットにおける「情」とは「認識するはたらき」そのもののことを表します。
りんごをりんごとして見、りんごと呼ぶ。
「対象を対象としてみる」一連の働きは、「こころ」ともいうことができます。

対して日本では、「情」ということばがある種の美意識を帯びているように思います。
そこには儒教的な要素もあり、
また山水や草木に「こころ」を感じるのは、古来の自然信仰とも繋がっています。
それらは「慈しむ対象」でもあります。

かたちあるものへの希求。
そこには少なからず、時として大いに、「執着≒苦しみ」が含まれます。

「共苦」とは、
「①他者が苦しむのを見るに耐えがたく、
②他者の苦を苦しみ、
③他者が苦しみと苦しみの原因から離れるように欲すること」を言います。
この感覚を主軸に、
「慈悲」すなわち抜苦与楽のはたらき、および「法」によって、乗り越えていきます。

一方、「人情」においては、
情=苦しみが、「情けなさ」と直接結びつき、
落語や狂言など、ユーモアによって昇華される感覚があるように思います。
これは、日本独特のものではないでしょうか。

「苦」を共有する感覚、という意味では、
「共苦」と「人情」は目的を同じくしていますが、
その質は全く異なるものです。

それぞれの文化の中で、長い時間をかけてじっくりコトコト醸成された価値体系。
紐解くのは容易なことではありません。

「苦しみから逃れたい」というスタート地点は同じでも、
目指すところは同じ、なのか、どうか。
これは宗教を学問するにあたって、普遍的に共有される問いかもしれません。

宗教は、「それぞれの苦しみに合った”処方箋”」である、と辻村さんは仰いました。


会も終盤になった頃、
なんとメイドくーたん、実は坊主だったことをカミングアウト。
ダライ・ラマ法王のコスプレか・・・?と、会場がどよめきました。

第二回レジュメ
▲当日レジュメ

この日も、様々な信仰を持つ方が来られ、
終始和気あいあいとした雰囲気の中で充実した対話となりました。

「共苦」と「人情」の違いを考えることによって、
日本のヒューマニズムの外縁をさまよい歩けたことは、
わたしの人生にとってかなりの収穫です。

辻村さんの著書『ダライ・ラマ 共苦の思想』では、
ダライ・ラマの思想が、柔らかなことばと身近な例えによって解説されています。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E-%E5%85%B1%E8%8B%A6-%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7-%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E8%BE%BB%E6%9D%91/dp/4906791557

瑞々しい筆致で生き生きと描かれたチベットの思想は、
一ページめくるごとに新鮮な驚きがあり、
(「チュウ」概念の解説の項などは目からウロコが落ちすぎて目玉ごと取れそうでした)
非常に楽しく読ませていただきました。

とくに冒頭に書かれた、
「スピリチュアリティは「水」で、宗教は「水を汲む道具」である。」
というたとえがとてもわかりやすく、しっくりと来て、心に残っています。

宗教を、「手段」と見るか、「目的」と見るか。
支点の置き方によって、宗教現象を捉えるパースペクティブはがらっと変わります。

自分と宗教の間の距離感を、相対的にはかることができる、という意味でも、
この会がさまざまなバックグラウンドを持つ方にとって
意義あるものになれば幸いなことだと思っています。

★次回:8月26日(土)開催。

波勢邦生(キリスト教研究者)×メイドくーたん
これまでの回の総集編となります!

①キリスト教(宗教のリアル、オタク、サブカル)
②チベット仏教(共苦と情、個別主義と普遍主義)
③ユダヤ教(共同体としての正義、個人の信仰)
④イスラム教(現代における信仰)
⑤テーラワーダ(修行、聖と俗、瞑想と芸術)
⑥キリスト教(伝道教会、社会との接点)

これまで扱ってきたさまざまな宗教現象をつなげながら、
改めて「宗教と社会の交差点に立って」現代における宗教のありかたについて考えたいと思います。
主要宗教の概略もざっくりとさらえるので、はじめて宗教に触れる、という方にもおすすめ!
第6回までのファシグラ・レジュメをまとめた冊子もご用意するつもりです。お楽しみに。

こちら(http://ryuganji.jp/events/pureland007/)からお申込み下さい。

ぴゅあらんどのキービジュアルを基にした「龍岸寺オリジナルノート」ができました!


裏表紙のイラストには、浄土系アイドルてら*ぱるむすや、
ブログでおなじみシンカンさん、そしてメイドくーたんの姿も。


ページの中には阿弥陀様がいらっしゃいます!
使えば使うほど、功徳が積まれるかも?

当日、会場にて¥500で販売致しますので、ぜひぜひメモに使って頂ければと思います。
龍岸寺ファンの皆さん、ゲットしてくださいね~!

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