アイドルそして衆生(ファン)とともに

アイドルブログの開始が意味するもの

今月から、龍岸寺を拠点に活動する浄土系アイドル”てら*ぱるむす”のブログがスタートした。

ふと話しているときに、私が「龍岸寺のWebでブログやらない?」と誘ったら、気軽に応じてくれた。本人たちも、お寺を盛り上げようという気持ちをもってくれているのが嬉しかった。”てら*ぱるむす”は、これまで日々の情報発信はツイッターのみだった。ブログが加わることで、伝えられる内容に厚みが出てくるに違いない。楽しみである。

ブログに誘ったそもそもの理由は、仏教の入り口になるような記事を書くのは、アイドル達のほうが適しているだろうと思ったからである。私は住職としての立場もあるし、あんまり茶化した話は書きにくい。また、体系的に教えを伝えていくのが、僧侶の本来の役割である。その一方で仏教文化をわかりやすくしてどんどん身近なものにしていくのは、アイドル達の役割だろう。数珠の持ち方でも、木魚の叩き方でも、アイドル達が書くことで、ずっと親しみのあるものになると期待している。

これはわりと大きな転換点である。

ここ10年ぐらい、私を含めであるが、若手僧侶の関心事は、いかに同世代の人びとに仏教をわかりやすく伝えるかだった。仏教を「心のデトックス」だと言ってみたり、掃除で「心をキレイに」と提案してみたりと、できるだけ身近な言葉に置き換えて、仏教を語ってきた。その甲斐あってか、仏教に興味を持って関わってくれる人が増えた。2年前の秋に”てら*ぱるむす”が誕生したのも、そのような時代の流れのなかの一コマである。

”てら*ぱるむす”は、日々のライブでも仏教のことを伝えてくれているが、ブログもスタートしたとなると、いよいよ仏教入門のコンテンツは、私の手を離れるだろう。私の役割は、仏教の入り口をくぐった人に、さらなる魅力を示していくほうにシフトするだろう。

衆生(ファン)の成長に感動

そんな風に思っていた矢先。

”てら*ぱるむす”のトップヲタの1人と話していたら、”てら*ぱるむす”は衆生(ファン)とともに修行するというコンセプトで活動してきたが、なんと「衆生たちのあいだでいま経本が売れているんです」という。

その理由を聞くと、「『サラソウジュデイト』の歌詞に『聞仏所説歓喜信受作礼而去(もんぶっしょせつかんぎしんじゅさらいにこ)』というお経の言葉が出てくるでしょう。この言葉をネットで検索すると、出典が『阿弥陀経』だとわかります。じゃあ『阿弥陀経』が載ってる経本が欲しい、となるんです」との答えが返ってきた。ちなみに、「花つぼみ」に引用される経典の言葉は、「無量寿経」の「歎仏頌(たんぶつじゅ)」であるが、トップヲタはその出典もきちんと把握していた。お見事である。

経本を買って学ぶ以外にも、文殊菩薩の化身のもんちゃん推しなら、文殊菩薩ゆかりのお寺に参拝するような動きもあるのだとか。

衆生の皆さんは、お互いに交流して研さんを積み、着実に仏教リテラシーを高めてきているのである。ちなみに以下は、私が「衆生会(しゅじょうえ/衆生の皆さんの集まり)のイメージ写真をもらえませんか?」と頼んだら、「ちょうどいいのがないですが代わりにこれを」ともらった一枚。ライブの後などには、お酒飲みながら仏教についても語っているらしい。

そして、仏教熱に燃えている衆生たちから私に対して、「ガチ法要をやってほしい」という要望が届いている。

現代的な仕組みの提案

私のほうでも実は、毎月開いている「釈迦モニ(釈迦モーニング)」の参加者と、年に1回ぐらい総本山知恩院へ参拝研修ができないかと考えていた。知恩院には、一泊二日の修行プログラム「おてつぎ信行奉仕団」というのがあって、全国各地のお寺が檀家さんを連れてやってくる。そして、掃除したり、勤行したり、礼拝したり、法話を聞いたりという時間を過ごす。

このプログラムは50年以上にわたって続けられてきたのだが、もともとは、

日に一度は仏壇まいり
月に一度はお寺まいり
年に一度は本山まいり

と、信仰心を段階的に養っていく仕組みの一端を担うものだったが、核家族化が進み、仏壇のない家庭が増えている状況では、この仕組みが機能しにくい。上のPVでも、参加者の顔ぶれはご年配の方々ばかりである。

しかし、熱心に仏教を学びたい人が増えてきている今、以下のような仕組みで取り組めば、おてつぎ信行奉仕団をうまく活用できるし、全体の枠組みも生きたものにアップデートできるはずである。

毎日、ツイッターやブログをチェックして、ナムい心を忘れない。
毎月、釈迦モニに参加してしっかりと学ぶ。また、ライブ(特にお寺ライブ)で仏教を体感する。
毎年、ファンが集って本山に研修に行く。

実際、衆生の皆さんや釈迦モニ参加者に、「知恩院で一泊二日」を提案すると反応は上々だった。

釈迦モニに足りないもの

釈迦モニは、ネーミングこそ柔らかいが、中身はかなりがっつりしたプログラムになっている。だから、「釈迦モニ」に毎月来てもらえれば、効率よく仏教を知ってもらえると思っている。

ただ、釈迦モニはいくらがっつりしたものだとしても、実践と講義をあわせて1時間30分のプログラムで、話が伸びたときでも2時間ぐらいで終わる(私が法事に出かけたあとも、参加者どうしで2時間ぐらい話し込んでいたことがあったらしいが)。坐禅や念仏の時間は、インストラクションなどを除くと正味20分程度しかできない。私自身、朝の勤行はできるだけ1時間以上かけるようにしているが、20分程度の読経と、1時間の読経ではまるで違うというのが実感である。ましてや、1泊2日という時間を費やして、修行漬けになるならなおさらだろう。

少し話がそれるが、私はクラシック音楽、特に昔のオーケストラ演奏などが好きで、50年も60年も前のウィーンフィルやベルリンフィルのLPをよく聴いたりしている。昔のオーケストラをあえて聴く理由の一つは、オーケストラごとに「ウィーンの音だ」「ベルリンの音だ」という響きがあるからである。しかし、昔はオーケストラごとの音色があったのに、いまそれが失われているかというと、これは何かの書物に書いてあったのだが(あいにく出典がいま思い出せないので、ご存じの方、教えてください)、移動手段が変化したからだという。

飛行機のない時代、ウィーンから北欧、東欧の都市へと電車移動して公演しようとすれば、何日も寝食をともにすることになる。この時間なくして、オーケストラに固有の音色が生まれないらしい。飛行機のおかげで、移動時間は短縮され、公演数も稼げるようになったのはもちろん良い話だが、その裏側で失われたものもあるのだとか。

私たちも、一緒にお寺に寝泊まりすることで、なにかしら芽生えてくる一体感があるはずだと期待している。

ガチ法要のスタイルについて

さて、衆生(ファン)たちが期待しているガチ法要をどうするか。

最終的には、衆生たちや釈迦モニの参加者など、新しく仏教に関心を抱いてくれている人たちと総本山知恩院におまいりし、法然上人御廟の前で念仏できたらいいのだが、それをスムーズに実現するにはもう少し準備が要る。なぜなら、ライブイベントも釈迦モニも仏教を学べる場ではあるが、浄土宗の作法を習得する場ではないからである。

知恩院の朝勤行では超速で「阿弥陀経」が唱えられるが、これにまったく面食らってしまうようなら、ファンの沽券にかかわるだろう。また、念仏、礼拝、日常勤行などもあらかじめ一通りやり方を伝えておきたいところだし、数珠も正しく持って焼香もきちんとできるようになっておいてもらいたい。

そう考えると、総本山におまいりする前に、お寺の本堂で学べることを学んでおく場が、ガチ法要ということになるのではないか。以下ざっくりした素案であるが、

焼香の仕方、数珠の持ち方などの解説(10分)
法要(含 阿弥陀経/30~40分)
心がまえなどについて法話(15分~20分)
念仏と礼拝(1時間ぐらい)

ぐらいのプログラムがよいかと思う。合計すると2時間程度であるから、長さは釈迦モニより少し長いぐらいであるが、浄土宗的な内容に特化したものになっている。時期はまだわからないが、私たちの気持ちがお寺に向かうのは、お盆やお彼岸である。ただし、お盆は帰省する人も多く集まりにくいので、秋彼岸ぐらいをひとつの照準にして、検討を進めていこうと思っている。

ということで、まだまだ作り込みは必要であるが、”てら*ぱるむす”の日々の活動、そして、衆生の皆さんの研さんなどのおかげで、仏教を段階的に知っていくための歯車がかみ合ってきた。これから龍岸寺界隈は、ますます盛り上がっていきそうな手ごたえを感じている。

関連記事

  1. 公開講座「現代社会と向き合う仏教」によせて

  2. ファン通信創刊の裏側

  3. 龍岸寺はなぜライブハウス化できたのか(教義篇)

  4. アート×仏教。伝統の再創造。

  5. 龍岸寺はなぜライブハウス化できたのか(設備篇)

  6. 2017年の感慨